津山三十人殺し。
 まがまがしい言葉だが、ミステリーファンには非常になじみが深い。言うまでもなく、横溝正史が『八つ墓村』(角川文庫)の着想を、この実在する事件から採ったといわれているからだ。この他にも西村望『丑三つの村』(徳間文庫)や岩井志麻子『夜啼きの森』(角川ホラー文庫)など、この事件を題材とした、あるいはヒントを得た作品は多い。
 人口百人余の集落で、その三分の一の命が一夜にして奪われるという大惨事だ。犯人は都井睦雄というたった一人の青年。その一人が、頭に二個、胸に一個を装備した懐中電灯を照明とし、日本刀と猟銃で武装して、次々に住民の命を奪っていったのだ。凶行のあと、彼は山に入って自決した。
 だが、この事件の真相は完全に解明されたと言いがたい。事件が起きた1938(昭和13)年5月は、日本が国を挙げて戦争へと邁進していく時期だったということが災いしているのだ。すでに犯人が自決してしまった猟奇事件について十分に捜査をし、また世間に向けて報道することに当局が熱心ではなかったとしてもやむをえないことだったろう----。
 そう思われてきた。
 津山事件はすでに「過去のもの」であり、これ以上新たな事実が明るみに出ることなどないと考えられてきたのである。この事件に取材したルポルタージュとしては松本清張「闇に駆ける猟銃」(中公文庫『ミステリーの系譜』所収)、筑波昭『津山三十人殺し 日本犯罪史上空前の惨劇』(新潮文庫)という二つの基本的文献があり、後者が決定版とされている。だが2011年の今になって、過去の研究書にはなかった、新たな視点を付け加える本が刊行されたのである。石川清『津山三十人殺し 最後の真相』(ミリオン出版)である。

 本書には著者が事件について書いた過去の原稿も加筆の上収録されている。だが中心は、著者がアメリカに赴いて閲覧してきた資料に基づき、事件関係者に関して新しい視点から行った考察と、事件当日の出来事を再構成する章だ。そう、新資料はアメリカにあったのである。戦勝国であるアメリカが日本の文化と風土を研究するために買い取り、持ち去った学術資料の中に、当時の捜査資料が紛れ込んでいたのだ。石川が本書で読者に提供する新視点は、九割方がこの捜査資料の記載事項に立脚している。あえてそのためだけに渡米した著者の情熱と誠意は賞賛されていい。そしてもう一点注目すべきは、事件の数少ない証言者として、犯人・都井睦雄の姉の子息(姉はすでに死亡)と、都井が殺害しようとして果たせずに終わった女性へのインタビューを敢行していることだ。そのインタビューからは、残虐極まりない殺人鬼とされた人物の、違った一面が浮かび上がってくる。

 石川が呈示する「真相」については、実際の本の記述に譲ってここでは触れない(本書を、一種のミステリーとして読む人もいるはずだ)。少しだけ書いておくならば、明るみに出た新事実を元に、都井と事件の当事者について、従来にはされてこなかったある関係を疑うものである。やや強引な印象は受けるが、許される範疇だろう。冷え冷えとした気持ちにさせられる推論である。これはぜひ読んで確かめてもらいたい。

 また、これは書いてもかまわないと思うが、事件が起きた集落(津山市というよりも加茂町に属する。本来この事件は加茂三十人殺しと呼ばれるべきものだ)に乱れた性風俗があった、と喧伝されたことについて、若干の反論がされている。その集落では夜這いの慣習が盛んで、結核を病んだために夜這いの輪から外された都井睦雄が憎悪をみなぎらせていった、というのが定説である。
 石川の主張は、夜這いの慣習は当該の集落だけではないし、その地方のおおらかな性風俗の中では当たり前のことだったというものだ。異常さが強調された報道がまかりとおった背景には、戦時下という事情が関係している。若者の出征が多かった時代には、後に残された妻の身持ちが固く、律儀に貞操を守っているという保証がなされる必要があった。夫以外の男と性を謳歌している地方があるということが公になるなど、とんでもなかったのである。そのために当時は、都井睦雄及びその周辺の人物を特別に淫奔な人間として強調する必要があった。そうしたバイアスのかかった報道に、後の研究家たちはみな引きずられているのではないか、と石川は言う。
 
『最後の真相』とはいうものの、まだ事件には奥があるはずである。石川の探究も、まだこの後がありそうだ。そういった意味では最終結論をくだしたものとはいえないが、現代人にも通じる病理を描いたノンフィクションとして、読む価値のある本である。

(杉江松恋)







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