有名歴史小説の舞台を訪ねてみた
 安土桃山時代から江戸時代初期の歴史が激しく動く時代を舞台にしたNHK大河ドラマ「江 〜姫たちの戦国〜」が好評だが、その時代の建築物で心をくすぐられるものといえば、「城」だ。特に、雄々しく聳え立つ天守閣からはロマンを感じる。
 現在一般的になっている五重以上の荘厳な「天守」は、1579年に織田信長が築いた安土城が最初と言われており、その後、豊臣秀吉政権下の元、各大名の下で「天守」の建築が相次いだ。

 各地に建築された「天守」。しかし、災害や戦火、失火をくぐり抜け、江戸時代から現在までその姿を保っている「現存天守」はわずかに12しかない。

 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』(文藝春秋/刊)の舞台の1つでもある伊予松山。その松山の街のちょうど中央にある松山城は、12しかない現存天守のうちの1つで、松山平野の中にある城山(勝山)の上にある。
 松山城を築城したのは、賤ヶ岳の戦い(1583年)で活躍した加藤嘉明だ。1595年に伊予松前6万石の大名となると、1600年の関が原の戦いで東軍について戦い、その功績により20万石に加増。手狭になってしまった正木城から、北にあった勝山に居を移すことになる。
 1602年からはじまった松山城の普請工事は、26年の歳月をかけて行われたが、完成直前の1627年、嘉明は旧蒲生氏の会津40万石に加増移封される。嘉明は一度、この加増を断っていることから、その無念さたるや、すさまじいものがあったのだろう。その後、嘉明の後に松山に入封した蒲生忠知が残っていた二の丸を完成させた。
 しかし1784年、天守に落雷があり、本丸の主要部分が焼失してしまう。現在の大天守は1854年に藩主・松平勝善の代に落成したもので、その後の放火や空襲などをくぐりぬけてきた。

 この記事の筆者は2度、この松山城に行ったことがある。松山城の天守閣を間近で見るためには4つの登山道からの登山、もしくはロープウェー、リフトを使った、ちょっとした“登山”が必要だ。しかし、その登山を経て見ることができる天守はまさに荘厳なもの。
 さらに、ちょうど季節は秋。秋晴れの高い空の中に浮かぶ松山城は、まさに正岡子規が詠んだこの句通りのものであった。

 松山や 秋より高き 天守閣

 ちなみに松山城からすぐ東にある道後公園には、伊予国守護の河野氏の居城であった湯築城跡があり、そこから城山を臨むことができる。写真は筆者が2005年に撮影したもの。右側少し奥にあるのが城山で、その山頂にうっすらと見えるのが松山城だ。

 人々は城下町からどのように松山城を見ていたのだろうか。

 なお、現存天守の入門ガイドでは、幻冬舎から出ている新書『現存12天守閣』(山下景子/著)がある。松山城を含めた12の天守閣をぶらりと探索する紀行文だ。城歩きをする際には、持ち歩いてみてはいかがだろう。
(新刊JP編集部/金井元貴)

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