2004年アジアカップ。日本対ヨルダン戦。当時、一ファンとして日本代表を応援していた私の目は、黒いシャツを着た男に釘付けだった。彼の名前はスブヒディン・モハド・サレー。“肘打ちしたように見えた”ためにこの試合で遠藤を退場においやったあの主審である。

そんな、まさに“中東の笛”ともいえる判定をいつか暴いてやろうと燃えていた私は、メディアパスを獲得してから、オフレコなど様々な場でスブヒディン氏へのコメントを煽った。しかし、出てくるのは「彼は、普段は教員で、非常に真面目な人間だ」ということだけだった。

FIFAやAFCの審判委員会に名を連ねている上川徹氏は「ホームタウンアドバンテージですか? そんなこと意識している国際審判員はいませんよ」と笑う。曰く「主審をやればわかりますけど、逆にそんなことをするのは難しいし、割り当てをもらえなくなります」という。

高田静夫氏は「FIFAは2002年以降、周到な準備をしており、今後の世界のレフェリングに明るい指針と良い結果を残している」と現状を分析している。2002年日韓W杯の“疑惑の判定”以降、FIFAは国際審判員に対し、課題を与え、かつ提出させることで監視を行っている。特に大会期間中は厳しくなり、審判員は完全に隔離された生活を余儀なくされ、外部との接触は不可能になる。さらにいえば、割り当てが発表されるのも、隔離生活後となる。

FIFA同様に、AFCも3年前から審判員のレベルアップを最重要課題にしており、現在FIFAのノウハウを取り入れている。つまり、“中東の笛”と言われる買収を行うのは不可能なのだ。もし、買収を行うならば、アジアカップにノミネートされる全審判員に大会前に賄賂を贈らなければいけない。そんな大掛かりな買収を行えば、誰かしらかリークが起きるのは、世の常である。

では、なぜ買収がないのにアジアでは不可解な判定が起こるのか?

それは、ことサッカーというスポーツにおいては、単純に審判員のレベルが低いからだ。私が運営する審判批評の読者の方々は、スブヒディン氏の名前を聞くと「ボールにプレーできていると判断すると、ラフなスライディングタックルも流す。なので、荒れた試合になりそう」とコメントする。

つまり、カタール戦でのレフェリングは、“中東の笛”ではなく、審判に注目している人間にとっては、いつもの“スブヒディンの笛”でしかない。岡田正義氏も「タックルについてはもう少し判定の精度・基準を上げた方が良い」と同調する。

さらに、「最後の香川選手へのタックルは得点の機会阻止でなくても、過剰な力によるタックルで退場だと思いました。得点を認めてから、最低でも警告すべきだったでしょう」とその基準に疑問を投げかけたように、「精一杯のレフェリングだったとは思いますが、微妙な判定もあった」(岡田氏)。

一方で、吉田が受けた二枚目の警告は「吉田選手自身が注意すべきだった」と指摘する。吉田は「プレー自体はファウルではない」と振り返ったが、主審もプレーをファウルにしたわけではない。映像で見れば一目瞭然だが、競り合いではなく、その後に吉田が意図的にアハメドの足を蹴ったために笛が鳴っている。間近で見ていた副審がコミュニケーションシステムで進言し、吉田は二枚目で退場になった。“中東の笛”ではなく、妥当な判定といえる。むしろ、“中東の笛”があるなら、香川の同点ゴールがオフサイドで取り消されても不思議ではない。

日本の主審がW杯で主審として割り当てを受けているのとは対照的に、スブヒディンは2010南アフリカW杯に選ばれたものの、一試合も主審を任されなかった。思い出すのは、日本人として初めて1970年メキシコW杯に線審として出場した丸山義行氏が当時のことを振り返った言葉だ。

「審判と選手は両輪です。審判だけのレベルが高い国はないし、選手だけのレベルが高い国もないでしょう? 強いリーグには良い審判員がいる。それを40年前に確信しました。今だって、欧州の主審が巧いのはチャンピオンズリーグがあるからです。どれだけ、シビアな試合で経験を積めるかが重要になる。私が線審としてW杯のピッチに立った時、『主審は絶対できない』と思いましたよ。だって、あんな環境でレフェリングしたことないんですから。西村雄一にしても、Jリーグがあって、そこからU-17W杯の決勝とステップアップして、その先に2010年南アフリカW杯があった。上川だってそうでしょう」

40年前に「審判のレベルを上げないと、リーグのレベルも上がらない」と説いた丸山氏の提案は一笑に付された。挙句、日本サッカー界の選手と審判の溝は深まり、徐々に正常化しているものの、まだまだ時間を要しそうだ。

日本でもそんな状況なのに、“中東の笛”で審判問題を片付けては、何も解決しない。長谷部の言うように、「審判のレベルを上げなければ、アジアのレベルも上がらない」。スブヒディン氏とマレーシアリーグの関係性がそこにある。アジアの審判レベルを上げるためには、アジア各国のリーグをオーガナイズしなければいけない。アジアの盟主を目指す日本だからこそ、“中東の笛”で終わらせず、そうした役割を買って出る必要があるのではないだろうか。(了)