初めて読んだ(というより眺めた)のは、台所の床で繰った映画雑誌だった。2、3歳の頃だから記憶にはないが、アルバムの中にだけしっかりとその姿が記録されている。

「母が国会図書館の司書や雑誌の編集者をやったことがある人で、家には本がたくさんありました。日本文学全集、世界文学全集の類をはじめ、誰もが小さい頃に読むような名作はひと通り読みましたね」

 特に好きだったのは、井上靖の『夏草冬涛』や下村湖人の『次郎物語』など、登場人物と一緒に成長し、大人に近づいていく"成長物語"。思春期には家の書棚にあった五木寛之の『青春の門』シリーズで、ちょっと淫靡な世界に触れて必要以上にドキドキした。

「エッチなシーンもあったので、親がいない時を見計らってそーっと抜き出してはそこだけ読んでまた棚に戻し...。要するに隠れて読んでいました。丁度胸が膨らんで生理も始まるような時期で、母親のブラジャーを引っぱり出してきて胸に当ててみたり。あの本は、そういう記憶ともリンクするんです。知らない大人の世界にだんだん近づいていくんだって」

 ところで最近、その凄さを再認識した本がある。石井桃子の超ロングセラー『ノンちゃん雲に乗る』だ。

「池に落ちたノンちゃんが雲に乗ったおじいさんに助けられ対話をするんですが、その中で自分のお母さんの名前"田代雪子"を初めて意識するんです。やがてお母さんの子供の頃、若い頃、未来...と、自分が存在していなかった時間のお母さんの姿を思い浮かべ、時間軸の中での人の存在というものを意識するようになる。今思うとこれは大変な物語ですよ。"私とお母さん"という二人称の世界しか知らなかったノンちゃんが、三人称の世界への扉を開く。ノンちゃんが知らない、"田代雪子さん"の世界が存在することに気がつくんですから」

 子供の頃に読んだ本を読み直して発見すること。それは最相さんの新しい著書で、21世紀の科学を支える12人の科学者の研究と人となりを取材した『ビヨンド・エジソン』の中にもあった。

「科学者になるきっかけになった"偉人伝"があれば聞かせて欲しいと取材をしに行きました。難しい依頼であることは承知していましたが、やはりそういう人はなかなかいない。年齢によって出会う本も様々、シンプルに一冊に絞るのは難しいですからね。そんななかで、ニパウイルスという感染症の研究で知られるウイルス学者の甲斐知恵子先生(東京大学医科学研究所教授)が、心に残った本として『キュリー夫人』を挙げてくださり、私も読み直してみたんです」

 最相さんが読んだのは、子供の頃に読んだ伝記のほかに三冊のキュリー夫人伝。次女のエーヴ・キュリーが書いた『キュリー夫人伝』、スーザン・クインというジャーナリストが書いた大人向けの評伝『マリー・キュリー』、同じく作家バーバラ・ゴールドスミスの『マリー・キュリー フラスコの中の闇と光』だ。

「共にノーベル物理学賞を受賞した夫ピエールを馬車の事故で亡くした後、ピエールの弟子だった人と不倫関係になり大変なスキャンダルに。二つ目のノーベル化学賞はそのスキャンダルすらも乗り越えてとったことを大人向けの評伝で知りまして。とっても好きになりましたね。小さい頃に抱いた"努力家"のイメージでとどまっていたのが、人間臭い生身のマリー・キュリーの姿が浮き彫りになりました」

 本を通してさらに、戦前キュリー夫人のラジウム研究所に留学し、体調を壊して帰国後まもなくの昭和2年に亡くなった、恐らく日本で初めての放射線障害の犠牲者である山田延男という物理学者の存在も知った。

「昭和が始まり、原子力の時代となり、やがて原子爆弾の開発へと突入していく。その先駆けとなった山田延男博士の業績を、キュリー夫人をきっかけに知ることができました。読書のいいところは、そうやってどんどん繋がり広がっていくことですね」

 最後に、最相さんご自身がノンフィクションライターという仕事において影響を受けた本をうかがった。すると単純に一冊に絞ることはできないので、無人島に持って行く1冊という設定に変えてならと挙げてくださったのが吉村昭の『漂流』だ。

「吉村昭さんは記録文学の創始者と言われる方で、この仕事を始めてから大変影響を受けました。『戦艦武蔵』など史実に基づいたストイックな戦史小説を書かれていて、それぞれの小説には必ず"取材ノート"があるんです。読むと時代考証や事実の検証を徹底して行い、非常に緻密な取材を重ねているのがわかる、書き手としての原点のようなノートです。一方で様々な歴史小説も書かれていて、『漂流』はしけにあって無人島に流されるも生還した江戸時代の漁師たちの取調書をもとに書かれた小説。死に直面しても最後まで希望を失いたくないという意味でも、無人島にはこの本を持って行きたいですね」

※この取材の模様の一部は2011年1月15日(土)23:00〜23:54のJ−WAVEの番組「BOOK BAR」にてオンエアされます。

最相葉月(さいしょう・はづき)
ノンフィクションライター。1963年東京生まれ、神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、教育などをテーマに執筆している。97年『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞受賞、07年『星新一 一〇〇話をつくった人』で大佛次郎賞他受賞。著作に『ビヨンド・エジソン 12人の博士が見つめる未来』(ポプラ社)。瀬名秀明との共著『未来への周遊券』(ミシマ社)など。

取材・文=根本美保子



『最相葉月さんの"読み直す"読書〜J-WAVE「BOOK BAR」×WEB本の雑誌』
 著者:最相葉月
 出版社:ポプラ社
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