「労働時間」と「生産性の向上」によって失われたものとは?

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 百姓で元「農と自然の研究所」代表理事である宇根豊氏が執筆した『農は過去と未来をつなぐ』(岩波書店/刊)は、百姓の視点から農の価値とは何かを考えていく一冊だが、本書の中で、宇根氏が百姓として労働生産性の問題をつづっているのでご紹介したい。

 もともと百姓には、「労働時間」という概念は存在しなかった。なぜなら、太陽の傾きが仕事の始めと終わりを報せてくれるからだ。しかし、村の外から「労働時間」、そして「労働生産性」が近代化をすすめる尺度として持ち込まれてくると、それは次第に変わってゆく。

 多くの百姓は、「生産性の向上」は「仕事の効率を上げる」と言いかえられ、「仕事がはかどる」ことの経済学的な表現だと思い込んでいるという。しかし、宇根氏は「仕事がはかどる」と「労働生産性が高い」ことは対立すると主張する。そしてこう続ける。

 労働生産性は労働時間あたりの生産額という尺度によって測られる・・・・・・一方の「仕事がはかどる」場合の実感とは、相手の生きもの(作物や草や動物や土や水など)とのやりとりがうまくいったということのほうが大きくて、手入れした仕事の充実を語っているのであって、時間あたりの収益などとはほとんど無縁です。(p190)

 労働時間や生産性という概念が持ち込まれると、時間や生産量という数字によって管理される。簡略化できるところは簡略化し、生産量を増やしていく。確かにその発想は百姓を楽にさせる。しかし、それによって、失われていくものもある。自然と共生する本来の百姓の姿である。

 自給率の問題や、兼業農家、農業従事者の高齢化、趣味農業の増加など、現在の農業を取り巻く状況は大きく変化している。そのような時代の中で、生産性や効率化が求められていることも事実だろう。しかし、そうした側面のみを見続けているのはいいのだろうかと思わされる。
 本書は岩波ジュニア新書のため老若男女通して誰もが読み進めることができる。田んぼや畑の新しい一面が見えてくるに違いない。
(新刊JP編集部/金井元貴)

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