驚いたのは、名古屋グランパスの高木義成選手。彼は、日本プロサッカー選手会の副会長を突然、辞任してしまった。代表選手の待遇改善を要求する会の方針に、共感できないかららしい。「ファンから『日本代表はお金のためなのか』と言われたことが大きい」と彼は言う。「代表チームにはお金を払ってでも入りたい」とも。

「日本代表はお金のためなのか」。「日本代表選手として頑張る理由はお金が欲しいからなのか」。そうした質問を選手に投げかけるファンを僕はファンだと思いたくない。

サッカー選手はプロ。プレイで飯を食っている人たちだ。サッカー選手という仕事を通してギャラを受け取る人たち。サッカー選手としてプレイすることを生業にしている人たち。少なくとも、各クラブとプロ契約を交わした選手は、そうしたスタンスで人生を送っている。他の職業人同様、基本的に各々の実力に相応しい報酬を受け取る権利を有している。

そうした中から選抜された代表選手は、いわばプロ中のプロ。ある意味でリスペクトされるべき選手だ。それなりの待遇で迎え入れられる権利がある。

しかし選手は、代表チームの待遇について、いまのところ交渉する機会がない。各クラブとの間ではできているプロとしての契約が、協会との間ではできずにいる。各クラブとの間ではプロとしての関係が構築されているが、協会との間には議論のテーブルさえ用意されていない。権利が与えられていないのだ。つまりその瞬間、選手はアマチュア同然の立場に晒される。まさに弱者となる。

選手会は、そうした現状からの脱却を図るために存在する団体ではるはずだが、その副会長は、「お金が欲しいから代表チームで頑張るのか」との、もっともらしく聞こえる無見識な声に素直に耳を傾け、そして「代表チームにはお金を払ってでも入りたい」と述べ、その職をいきなり辞してしまった。

報酬は責任と表裏一体の関係にある。つまり、報酬をもらえば責任が生じる。下手なプレイはできない立場に置かれる。評論の対象になる。ブーイングの対象にもなる。しかし「お金を払ってでも」には、その論理は通じない。

一銭も報酬を受けていない人にブーイングを浴びせることはできない。つまり、ファンと選手の間に存在するはずの(存在しなければいけない)緊張感は一切消える。それでも、みんな仲良く和気藹々とプレイしたい選手は、プロ選手としての心構えに重大な問題があると言わざるを得ない。

もし代表チームに参加している間に怪我をしたらどうするのか。必然、所属チームでの出場機会も失われる。翌シーズンの報酬にも大きく影響する。クビになる可能性だってないわけではない。

少なくとも、交渉のテーブルは設けられるべきなのだ。報酬の額は一方的に決められるべきものではない。原稿料があまりにも安い場合、依頼を断わるのが僕らの常識。世の中の常識だ。もちろん、それでも依頼を引き受けることはあるけれど、それは判断した末の結論になる。いまの日本代表選手にはそれさえ許されていない。にもかかわらず、有無を言わせぬ無言のプレッシャーを掛けられる。断ろうものなら、お国のために働けない非国民。金の亡者だと後ろ指をさされる。

タダ働きを強要する一部のファン。そしてメディアにも問題はある。当たり前の話に目を背け、選手に聖人君子を求めようとする。日本にはそうした、少しばかり陰湿な文化が根強く残っている。甲子園の高校野球をやっているわけではない。箱根駅伝でも、大学ラグビーでもない。お金を巡る争い、戦い。そこに夢があるわけだ。代表チームで活躍している選手に、貧乏臭さが漂うのはまずい。格好良くなければ夢は壊れる。

1日の拘束料1万円。韓国とあれほど良い試合をしても出場給は5万円。裏方サンにも劣るような報酬だ。何とかしてやるべきだと僕は思う。

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