“マンガ規制条例可決”で表現を殺さないために

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今回は保坂展人さんのブログ『保坂展人のどこどこ日記』からご寄稿いただきました。

“マンガ規制条例可決”で表現を殺さないために
ついに12月15日、東京都議会本会議で“マンガ規制条例(東京都青少年健全育成条例)”が可決・成立した。夕方の民放のニュースでは石原都知事が出てきて「当たり前だ」「騒ぎすぎ」「頭冷やせ」などと相変わらず尊大な物言いを続けている。また、メディアは、東京都青少年・治安対策本部の掲げる“マンガ規制”を「過激な性表現のマンガを子どもに見せていいかどうか」という短絡的な切り口で報道し、他方で条例に抗議するマンガ家の声をはさんでいる。よくあるトリックだが、“過激な性表現のマンガを子どもたちに見せないようにするゾーニング”に、妄想たくましく“表現の自由”を振り回して抗議する愚かな輩という石原流のメディア操作の図式が目につく。こうした浅はかな流れに乗って垂れ流される情報の力=世論こそ、今回の都議会民主党内の“反対論”をねじ伏せた正体だ。

東京都ではすでに、“区分陳列(ゾーニング)”は行なわれている。『ドラえもん』の隣に“過激な性表現のマンガ”が置いてある書店・コンビニなどは、そもそもない。マンガ規制条例にマンガ家のみならず、文化・芸術・表現に関わる多くの人が声をあげたのは、“過激な性表現のマンガを子どもたちから遠ざける”ことに反対したのではない。今回の条例の規定が“著しく曖昧で、監視当局の裁量のままに暴走する恐れがある”ことに、多くの人々の危惧は集中している。“過激な性表現を子どもたちから遠ざける”だけなら、条文をもっと限定的に絞り込むべきではないか。

今回の条例では、どう書いてあるのだろうか。“刑罰法規に触れる性行為”“婚姻を禁止されている近親間の性行為”を“不当に賛美し、誇張するように描写した表現物”が出版業界等の自主規制の対象となり、これらの中から“強姦(ごうかん)等の著しく社会規範に反する性行為”を“不当に賛美し又は誇張して描いた表現物”が“不健全図書”の指定を受けるというのが、今回のマンガ規制条例の肝だ。

この条文を読んで“過激な性表現のマンガ”だけを規制しているという人は、法律(条例)の怖さを知らない。東京都青少年・治安対策本部がなぜこのような“マンガ規制”に走るのかと言えば、その名の通り“青少年の健全育成”のためであり、規制をしないと“青少年の健全な成長・発達を妨げる”からだ。

“海老蔵殴打事件”ばかり追いかけているテレビが、母親たちに“過激な性表現のマンガ本”を見せて、「規制した方がいいですか」と聞けば、「こんなの子どもに見せたくないですね」となる。しかし、彼女たちが子どもの頃に、また現在も読んでいるマンガも対象になるんだということを知れば、「エーッ、知らなかった」ということになる。『風と木の詩』のようなマンガが、今の大人たちにどのような影響を与えたのか、改めて考えてみなければならない。

規制が直接的な“性行為”のみに収束する保証はどこにもない。人前で尻を出してオナラをするような下品な行為は、“社会規範に反する”のではないか。裸になって、土手を走るシーンはどうなのか。“刑罰法規”は幅が広く、今後新設されたり、改正される“刑罰法規”も自動的に含むというなら、東京都の規制の範囲の線引きはきわめて曖昧だ。

性行為を離れて、暴走族が信号無視をしたり、集団暴走行為をしているマンガは“著しく社会規範に反する”と言えないか。スポーツカーに乗った女の子が制限速度を超えて疾走するシーンはどうなのか。また、“賭けマージャン”や“暁の決闘”を描いたマンガはどうだろうか。“チャンバラ”は刀を腰にさしている段階で銃刀法違反ではないのか。“刑罰法規”という目でマンガを見渡せば、無限に事例は出てくる。こうして、一度始めた規制は、“性行為”の枠を超えて表現全体に襲いかかる可能性がある。

そんなに社会規範が大事ならマンガはない方がいい。社会常識とのズレや、屈曲を描くことを制限されたら、著しく不自由なものになる。事実、戦前の治安維持法下の日本でもマンガ規制は行なわれ、最後には“戦時マンガ”ですら検閲で差し止められた。マンガ・アニメなどにとどまらない。青少年の健全育成の観点からは、“違法行為を不当に賛美し、または誇張して表現したお笑い”も有害だと彼らは言い始めるかもしれない。こうした規制は一度、やり始めたら際限がない。

今日のマンガ規制条例の可決・成立で、日本国憲法が国家権力の暴走を戒め、国民に保証している“表現の自由”“検閲の禁止”が揺らぎ始める。たかが条例が、憲法を浸食するのであれば、まさに“石原の倒錯”だと言える。99年に国会で成立した“国旗・国歌法”は、「教育現場に影響を与えない」(野中広務官房長官)が答弁を重ねたが、「その答弁は間違っている」という東京都教育委員会によって、教員の大量処分を生んだ。そんな都知事の下で、“付帯決議”で“慎重な運用”を約束することにどれだけの意味があるのか。

どうしたら、この条例“改正”の害毒を無毒化できるのかは、これから先の“世論の動向”にかかっている。「成立前はうるさかったが、できてしまえば皆、納得したのか静かになった」とでも都知事に言わせる程度のリアクションなら、私たちの危惧は遠のくことがないだろう。ただし、やりたい放題の石原都知事も任期は来年の春までだ。本人が「また出る」場合はもちろんのこと、出馬しない場合でも各候補がこのテーマをどう語るのか。

都民の不安・不信を払拭するために、条例はゼロから見直す。出版物のゾーニングは、警察主導の治安対策本部から、一般部門に移行する……ぐらいの政策を持つ候補が勝つことで、今回の悲劇は転換できる。

執筆: この記事は保坂展人さんのブログ『保坂展人のどこどこ日記』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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