Jリーグに在籍した外国人選手の中で、ベストな17人(GK2人、DF、MF、FW各5人)を選んでください。
 
先日、ある雑誌から依頼されたアンケートに、僕はこのように答えた。
 
GK:ジルマール、シジマール
DF:ペレイラ、トーレス、ブッフバルト、ストヤノフ、ホン・ミョンボ
MF:サントス、ジョルジーニョ、ビスマルク、エドゥー(横浜F)、ドゥンガ、
FW:ストイコヴィッチ、ジュニーニョ、マルキーニョス、ウェズレイ 、エメルソン
 
ユ・サンチョル、トニーニョ、ファネンブルク、最近ではポンテ、フランサ、ワシントンなど、それ以外でも、気分次第では上記の17人の中に入りそうな選手は数多くいた。参考資料として送られてきた候補選手のラインナップを眺めるていると、懐古趣味に思いきり浸りたくなる。
 
Jリーグが発足したのは93年。今年で18シーズンを迎えるが、少しばかり年齢を重ねてくると、もう18年経ったの? という感じだ。18年前がそう昔のことには思えないのだ。つまり、そう昔のことのようには思えないのに、昔は良かったと懐古趣味に浸りたくなるのだ。Jリーグは僅かの間に激変した。外国人選手の顔ぶれを見ていると、そう結論づけたくなる。
 
少なくとも90年代のJリーグには華のある外国人選手が数多く在籍していた。客を呼べる外国人選手が。とはいえ、発足当時の外国人選手はジーコに代表されるように、ビッグネームではあるけれど、いかんせんロートルだった。しかし、ほどなくすると、バリバリの名選手も目立つようになる。
 
ジョルジーニョ、レオナルド、ドゥンガ、ジーニョ、ストイコヴィッチ、ブッフバルト、ストイチコフ、エムボマ等々、大袈裟に言えば、世界のサッカーファンには垂涎の的になるような名手が在籍した。昔は良かったと言いたくなる所以だ。
 
前にも述べたことがあるかもしれないが、“あるとき”ロベルト・カルロスは僕のインタビューにこう答えている。
 
「Jリーグは、僕たちの中では4、5番目の選択肢になっている」
 
“あるとき”とは、確か96−97年シーズンだったと記憶する。インテルからレアル・マドリーに移籍してきたシーズンだ。当時のUEFAリーグランキングは、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、オランダ、ポルトガル、イングランドの順だった。つまり、ブラジル代表クラスの選手にとってJリーグは、ドイツのブンデスリーガに迫る選択肢だったわけだ。「昔は良かった」が、僕の個人的な感想ではないことは、この事実からも浮き彫りになる。
 
いま、バリバリのブラジル代表に同じ質問をしたら何と答えるだろうか。カタールはもとより、中国にさえ後塵を拝しているように見える現状を考えれば、20番以内に収まるかどうかと言ったところだろう。
 
世界リーグランキングの中でJリーグが急落した原因は、もちろん日本経済のバブル崩壊と無関係ではない。Jリーグ各クラブと、欧州各クラブとの間には、年間予算という点で比べようのない差ができてしまったわけだが、欧州のサッカー事情の変化も見逃せない。
僕がロベルト・カルロスから「Jリーグは4、5番目の選択肢」という話を聞いた96-97シーズンは、ボスマン判決の内容が施行されたシーズンでもあった。それまで3人だった外国人枠が撤廃されたことで、欧州の各リーグには、外国人選手が入り乱れることになった。本場から遙か遠く離れた日本でプレーする必然性が減ったのだ。
 
それに、欧州チャンピオンズリーグの肥大化が輪を掛けた。90年代半ば、欧州のクラブにとって一番欲しいタイトルは、まだ国内リーグのタイトルだった。チャンピオンズリーグ優勝には、いまほど権威がなかった。しかし、外国人枠が事実上撤廃された頃から、その権威は急速に上昇。本大会出場枠が16チームから、24チーム、そして現行の32チームに増えるに従い、国内リーグよりチャンピオンズリーグの考え方は、決定的なものになっていく。