“バカ”の二義性

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今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

“バカ”の二義性
一つの言葉が正反対の意味を持っていることは珍しくない。代表的なのが“神”だろう。人を助け慈愛に満ちた神がいる一方で、天変地異を起こしタタリを成す荒ぶる神がいる。神と悪魔(鬼)は人智(じんち)を超越した存在という意味で同一なのだ。

愛憎も執着した感情という意味では同じ。正反対のものはしばしば同一地点にある。tan90°はプラス無限大だがtan−270°はマイナス無限大だ。しかし90°と−270°は同じ角度だ。

オタクは“バカ”が好きだ。この場合のバカとは無能という意味ではない。“天才とキチガイは紙一重”の“キチガイ”に相当する。常人には真似できない異常性を意味するといえよう。

しかしさらに分析してみると、オタクの好きなバカは、やはり無能さ・愚かさを含むような気がする。“才能の無駄遣い”というような場合、やはり愚かさに対する侮蔑(ぶべつ)感が必要条件のように思う。つまりオタクは自分が優越感を感じつつ、同時に畏敬畏怖(いけいいふ)を感じる存在が好きなのだ。

それは少年向けマンガにしばしば登場する普段はさえないがいざというときは大活躍する主人公と共通性がある。また少女向けマンガに登場するカッコイイ主人公が時々見せるドジな一面というシチュエーションも源流は同じかもしれない。男性と女性で微妙に2つの“バカ”の要素の比重が異なるのは興味深い。愚か者が時折見せる優秀さと優秀な人間が時折見せる愚かさ。

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一般人がオタクにこびようとすると、この点を大きくはずす。オタクが好きなのは真似のできない愚かさなのに、それを履き違えて、真似が容易な愚かさをアピールしようとする。もっとも“こびる”という時点で、真似が容易な部分しか原理的に真似できないのだけれど。そしてそれはたいていオタクの猛反発を買う。簡単に真似できる部分を真似すれば、オタクの関心を引けると考えていると取られるからだ。つまり自分たち(オタク)は安く見られている、と。

真似しようと思えば簡単に真似できる“バカさ”と、凡人では到底まねできない“バカさ”。この相反する価値観の共存がオタクの行動原理を形作っているといえよう。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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