連載「ふくびと」アタッシェ・ドゥ・プレスの先駆者 ワグ社長 伊藤美恵<前編>

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 今回のスペシャルインタビュー「ふくびと」は、日本における「アタッシェ・ドゥ・プレス(広報・PR)」のパイオニア、ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長の伊藤美恵氏。 国内外のブランドや企業を成功に導く影の立役者だ。彼女の「アタッシェ・ドゥ・プレス」としての仕事内容はPR・広報の枠を超え、広告・宣伝やマーケティング、ブランディングからコンサルティングまで驚くほど多岐に渡る。ファストファッション「フォーエバー21」から英国ブランド「ヴィヴィアン・ウエストウッド」、通販大手「ニッセン」のリブランディングまで、これまで手がけてきた活動による実績は多数。

 インタビュー<前編>では、そんな伊藤氏に自らのルーツからライフストーリーを語っていただき、<後編>では「アタッシェ・ドゥ・プレス」の神髄とヴィジョンに迫っていった。



 伊藤美恵氏は1944年東京生まれ。山脇美術専門学院を卒業後、洋服好きが高じてデザイナー花井幸子氏のブティックに勤務。独立しデザイナーの道へと進み、ショップの経営からファッションプロデューサーとあらゆる仕事を経験。そんな中、後に天職となる仕事「アタッシェ・ドゥ・プレス」と出会い、情熱を傾けていく------。


■伊藤美恵のルーツ
 私は小さい頃から綺麗なものが好きで、いつもきちんとして心地いい場所にいたいという性格でした。母から受けた影響は大きく、長女の私を入れた5人の子どもたちが、何人もの友達を家に呼んできても喜んで迎え入れてくれ、何十人分のご飯を作ろうがいつもオシャレで綺麗にしている人でした。誰でも温かく迎え入れ、気まずい思いをさせないように心地いい場所を作り上げてしまう、母親というよりも女性として憧れでした。今思い返すと、私のコミュニケーションのルーツは母ですね。

 そんな環境で育ったせいか、今でも初めての場所で居づらそうな人がいたら、どんどん声を掛けて人に紹介をして巻き込むといった性格です。 相手に気を遣わせないというコミュニケーション力は、半分は意識して訓練もしていますが、後半分は習慣として自然と身についていると思います。


■洋服好きからデザイナーへ
 子供の時から洋服は全て仕立て屋さんでオーダーメードという恵まれた環境でした。ブリジット・バルドーやフェイ・ダナウェイ、ジャクリーヌ・ササールの映画のワンシーンとか、頭に焼き付いたものをイメージして自分でデザイン、オーダーするといったことが日常で、おかげですっかり洋服好きになっていました。

 美術学院を卒業して初めての勤め先は「Yukiko Hanai(ユキコハナイ)」のブティック。花井先生に影響されたのは女としての生き方や仕事に対する取り組み方。イラストレーターからスタートしてデザイナーになられた方なので、洋裁学校を出ていなくても自分自身でデザイナーの道を切り開いたというプロ魂がありました。現在も現役でいらっしゃいますが「いい人がいいものを作る」という、まさにそういう方。クリエーターであり経営者でもある花井先生の下に勤めた4年間では、仕事の基礎とファッションビジネスの要諦を学ぶことが出来ました。

 その後、独立して兄弟たちと一緒に立ち上げたのが、ブティック「BUZZ SHOP(バズ ショップ)」です。私自身がデザイナー兼経営者としてブレイクから倒産までを経験することになるのですが、デザイナーとしてモノ作りの限界を感じて、表舞台よりも裏舞台(後のアタッシェ・ドゥ・プレスの仕事)のあり方に考えがシフトしていきました。


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■ヨウジヤマモトの新スーツブランドからPRの道へ
 1985年に現在のPR会社である「ワグ」を立ち上げてから、本格的にブランドの企画やプロデュースを始めます。その頃、友人でもある世界的デザイナーの山本耀司さんから「世の中に直球を投げてみたい」というお話をいただきました。男物の直球と言えばスーツ。「紳士物のスーツといったらダーバンでしょう」ということで、私がスーツメーカー最大手のダーバン(現:レナウン)に話を持って行き、スーツブランド「A.A.R.(アール)」を立ち上げることになりました。耀司さんがボソっと話したアイデアなどを実際にオーガナイズして戦略を立てるのが今も私の役割でもあります。

 当時、ダーバンではメインターゲットを大学生にしたスーツブランドの立ち上げを企画していたということもあり、スムーズに話は進んでいきました。ところが、いよいよ「A.A.R」が立ち上がろうとしたタイミングでPRだけが決まっていません。さて、PRはどうしようという話になったとき、「美恵さんに任せたい」と耀司さんからの一言があり、ここで初めて私はブランドのPRを担当することになりました。

 「無から有を生む」のがファションプロデューサーだとしたら、そこから更に発展して「有」の部分をターゲットとなる消費者に的確に認知させるのがPRの仕事。当時はPRのノウハウなんてほとんど持っていませんでしたが、自然とPRの需要性を感じていて、それがだんだんと自分の仕事になっていったのだと感じています。


ワグが手がけたVivienne Westwood東京でのメンズショー(2009年)

■全てを経験して自分の武器に
 デザイナー、販売、ショップ経営、ブランドプロデュース、これらに関わるすべてを経験しているPRってあまりいないと思うんですよね。自分の武器はそこの部分だと思っています。最近は商品企画のコンサルティングの依頼も増えてきました。今の時代に必要なのは、単にリリースを配信して認知を広げましょうというPRではなく、いかに商品が売れるかというマーケティング的な考え方を持ったPR戦略が重要です。そのためには売れる商品を作らなくてはいけない。現代におけるPRの仕事と責任は確実に広がっています。

■ アタッシェ・ドゥ・プレス は洋服のサンプル貸し出しのお姉さんじゃない!
 私がパリではじめて「アタッシェ・ドゥ・プレス」に出会った頃、職種はもちろんそういった役割自体が日本に全くありませんでした。企業に広報部はありましたが、日本でいう広報の仕事は株主対策といったIRのイメージが強く、どちらかというとビジネス寄り。企業広報やブランド戦略、イメージ戦略といったPR・広報の考え方はほとんどなく、特にファッションのPRというと「オシャレなお姉さんがサンプルの洋服を雑誌社に貸し出しするのが仕事」といった認識でした。しかし本当にPRをするのであれば、ブランドイメージだけではなく、社長やデザイナーの考えも全てをきちんと理解していないと務まりません。戦略を立てるクリエイティブなアイディアやコミュニケーション能力も必要になってきます。これこそが、本来の「アタッシェ・ドゥ・プレス」の仕事です。

 「このままではいけない」と、日本における「アタッシェ・ドゥ・プレス」の重要性を痛感していた私は、後進育成のための学校設立を考え始めました。


 <後編>アタッシェ・ドゥ・プレスの神髄とヴィジョン に続く