お茶の間を騒がす市川海老蔵が、歌舞伎役者だということは誰もが知るところ。じゃあ、歌舞伎ってどんなもの?といった時に、出てくる言葉は「伝統芸能」「なんかすごい化粧」「寄り目」くらいというイメージの人が多いのでは?海外でも歌舞伎はメジャーなのに、日本人に生まれて早◯年で何も知らないのではちょっと恥ずかしい。本当は、一度くらいは歌舞伎を観てみてみたいと思っているという女性は、けっこういるのではないでしょうか。

 そんな、歌舞伎に少なからず興味はあるけれど未体験という女性たちが、一歩踏み出して劇場へ向かい、質のイイ歌舞伎初体験をするためには、はたして何を知っておいたらよいのか?これから数回に渡って、歌舞伎の世界の端っ子をかじる私、左ななめがお話していこうと思います。

 さて、「歌舞伎は伝統芸能」とは、痛いほどアタマに刷り込まれていますが、そのせいでムズカしい、カタいなど、足が遠のくのも事実。今、歌舞伎が「伝統芸能」なのは間違いないことですが、はたして歌舞伎は生まれたときからおカタい「伝統芸能」だったのかと言えば、実はそうじゃないのです。

始まりは、レディ・ガガ級の女。

 今では男役も女役も、男性のみで演じられている歌舞伎ですが、その始まりを作ったのはなんと女性でした。その女性とは「阿国(おくに)」という、出雲大社の巫女さんだったと言われる人物です。
 
長くたらした髪に鉢巻、キンキラキンで派手な模様の衣装を着て、腰に刀を差し、ヒョウタンをぶらさげるという男装。しかも胸には輸入物の十字架をさげ、手には念仏踊り用の鉦を持って打ち鳴らすという、そのインパクトといったら、レディ・ガガ級。そんな派手な格好をして阿国と女性たち一行は、いったい何をやっていたかというと、恋の歌と踊りを中心に寸劇のようなものをやっていました。
 
ところがそのショーの中身というのが、遊女とたわむれる様子や、髪を乱して風呂上がりの様子を演じるなど、かなり官能的なものだったのです。 
 
こんな新しくて刺激的な女性たちとショーに、庶民が夢中になるのは当たり前。すると出てくるのが阿国たちをマネする人々で、すぐに京都あたりの遊女などが庶民の前で歌ったり踊ったりし始めました。
 
と、いうところまではよかったのですが、実はそれが売春のための遊女の見本市のようになっていたため、「女かぶきは風紀が乱れる」として幕府に禁止されてしまいます。こうしてこれ以後、歌舞伎から女優がいなくなってしまいました。

江戸のジャニーズJr.に興奮。

 禁止というからには、女優はともかく、歌舞伎もなくなってしまうじゃないかというその時、こんどは「若衆かぶき」というものに火がつきます。
 「若衆かぶき」の「若衆」は、まだ成人していない、10代前半の男の子たちのこと。そんな若くてまだ中性的な美少年たち、今で言ったら選りすぐりのジャニーズJr.が歌い踊るショーは、またもや庶民の人気を呼びます。
 
けれど結局のところ、女かぶきが遊女の見本市となったように、若衆かぶきも男色を売る「色子(いろこ)」の見本市のような状態だったため、「舞台に立つのは成人男子のみ」と幕府によって若衆かぶきは禁止されてしまいました。

 だったら成人男子にすりゃいいんだろうということで、成人してない印である前髪を剃って「若衆」が年齢をかくしたりと、巧妙な工夫をした、「野郎かぶき」が始まりました。その前髪を剃った部分を、女性の役などをする場合に紫色の布を置いて隠したところ、これがまた色気になってしまい、相変わらずの男色天国。またも取り潰されてしまいます。
 
けれど庶民の圧倒的な支持のもと「野郎かぶき」はもう一度復活。これが今も続く歌舞伎の原型となりました。

江戸の芸能界=歌舞伎。

 レディ・ガガ級の女性に始まり、美しくハイレベルなジャニーズJr.を経て、何度も幕府に潰されながらも、庶民の人気をどんどん獲得していった庶民のための娯楽。これが今の歌舞伎の原型です。江戸の庶民にとって、歌舞伎はイコール芸能界。そうなってくると歌舞伎はあんまりかしこまって観に行くよりも、江戸の人々がそうだったように、あの役者がカッコいいだのカワイイだの、気軽に観に行ってもいいものじゃないかと思えてきませんか。