完全に秋である。夏は裸足で逃げていった。なんとなく肌寒い朝。蝉の声のない朝。夏が賑やかでたまらなかったからこそ、秋はこんなにも寂しく感じてしまうのか。季節の変わり目。体調管理に気を付けよう。

 水木イズム第八十七回。前回は「針女」と女に関する都市伝説の講釈をさせていただいた。今回はまたも座敷童子的妖怪に関しての講釈をさせていただくことにする。そんな今回紹介する妖怪はこちら。
 
 「倉ぼっこ」である。もうすぐ最終回を迎えるゲゲゲの女房でも触れられた妖怪であり、倉の守り神とされている。防火の神とされ、江戸時代に本所に居た倉ぼっこは倉が火事になると実体化して現れ、倉の中の物を非難させる手助けをしたという。

 火事というものはやっかいで、その人の財産を灰燼に帰してしまう恐ろしさがある。ひょうとくの項で触れた竈神は火之神であるが、これは火を操る神であり防火とはちょっと違うのだ。防火はその火に対する神なのである。

 倉ぼっこが倉にいる家は栄えるといわれており、逆に倉ぼっこが出ていけば、その家は没落するのだという。正に座敷童子と同じモチーフを持った妖怪であると言うことが出来るだろう。このように似通ったモチーフなのは、その妖怪の誕生経緯にあるはずだ。

 座敷童子は栄華を誇る一族の理由付けにつかわれていたが、倉ぼっこは倉に居るという特性上、倉を持つことが出来る財力を有する家にしか顕現することが出来ない。必然的に倉ぼっこは富裕層の家に現れる妖怪になる。

 これが転じて、倉ぼっこが棲み着いている家は栄えるというモチーフに結びついたのではないだろうか。このモチーフがある以上、その家が滅びれば倉ぼっこが出ていったからというモチーフが生まれる。そこに入れば栄えるというモチーフには、出ていけば滅びるというモチーフが絶対について回るものなのだ。

 境港市の水木ロードにある倉ぼっこは倉ではなく御茶屋の守り神扱いされている。朝と晩、店を始まる前と終わった後にお参りもされているのだそうだ。何か願いたいことがあれば、綺麗に綺麗に掃除をするという。妖怪であるが、神のような扱いを受けているのである。

 ブロンズ像という偶像化によって、身近さが増したのかもしれない。親近感ある妖怪は、その特性によっては神の如き扱いがされるものなのかもしれない。日本人は明文化されていない慣習による宗教を実践している民族である。その為、彼岸のもの全てが神扱いされてもおかしくはないのだ。

 この自由さこそが、日本の独特の空気の正体なのではないだろうか。妖怪とは日本である。日本とは妖怪である。今だ未熟であるがゆえに、その答えを知ることは出来ない。だが、いつの日か妖怪学を研究しつづければ、それを解明できる日が来るだろう。

 今はそれを目指して邁進するだけである。


*********************************************
水木イズム バックナンバー
第八十二回「山童」
第八十三回「たんころりん」
第八十四回「畳叩き」
第八十五回「ひょうとく」
第八十六回「針女」

■関連記事
9月30日発売予定のPCゲーム「魔法使いの夜」発売延期!
【斉藤アナスイの戸惑】 テーマ「おばあさんと電車」
クリスマス・イヴの夜は『ゲームセンターCX DVD-BOX7』
2人の男女が全裸で駅前を大冒険!
婚期を逃しかねない女性たちを克明に描写した作品の数々