第143回直木賞受賞!中島京子さんに聞く『小さいおうち』の原点(2)

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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』、第18回は先日、直木賞を受賞した中島京子さんです。
 前回は受賞を待つ間の心境を語ってもらいましたが、今回は受賞作『小さいおうち』について、その着想の源を教えてくれました。

■「『小さいおうち』は戦争を経験した方々が生きているうちに書きたかった」

―直木賞受賞作『小さいおうち』は昭和初期〜終戦直前までを東京の家庭で女中として過ごした女性の手記を中心に物語が進んでいきますが、本作を構想する際の最初のひらめきはどのようなものだったのでしょうか。

中島「最初は女中さんが語り手の話を書きたいと思っていましたね。女中とか家庭教師とか小間使いとか、家庭に深く入り込むんだけど家族ではない人が語り手となっている小説が昔からあって、好きだったんです。それで自分でもやってみたいな、と思ったのが最初だったと思います」

―中島さんは昨年も『女中譚』(朝日新聞出版/刊)という連作小説集を出していますが『女中』というお仕事や役割に特別な思い入れがあるのでしょうか。

中島「そうなんですよ。女中さんが語り手の話が書きたいと思って資料を当たっていたんですけど、『小さいおうち』で書いたような、都市部のサラリーマン家庭で核家族という小ぢんまりとした家庭に女中さんが一人いるという形式は大正時代にならないとできてこないんです。そうやって時代が限定されてきて、さらに資料を探すと、いろんな小説家が“女中小説”を書いているので面白くなってしまって、そういったもののパロディみたいな感じで書いたのが『女中譚』ですね」

―今おっしゃったような“女中小説”というのはどのような方が書いていらっしゃるのでしょうか。

中島「“女中小説”というジャンルがあるわけではないんですけど、昭和の初期くらいだと多くの家に女中が入っていたんですよね。特に東京で暮らしている文士の家などには。だから普通に女中さんがどの小説にも何となく入っていたりします。
代表的なもので言えば谷崎潤一郎の『台所太平記』などがあります。これは歴代谷崎家に勤めた女中の話ですね。あとは太宰治の『津軽』も。あれは太宰が子どもの頃に世話になった女中ですから時代的にはもっと前なんですけど、女中さんとの特別な思い出が書かれていたりとか。他にもたくさんありますよ」

―本作を執筆する際に意識したことがありましたら教えていただけますか。

中島「この話はおばあさんの手記という形で始まるんですけど、そのタイプの小説を書いたことがなかったので、おばあさんが昔を思い出して語っているということは意識していましたね。
日記というものは人に見せるものではないので社会的責任もないし、だからこそプライベートなことも書くことができます。そのうえで、すごく辛くて嫌なことなら書かない、というような操作が行われながら書いているんだろうな、というところも意識しながら書きました。
それと、当時の人がどう感じたか、どう考えたか、どういう情報から物事を判断していたか、ということを知りたかったし書きたかったので、後付けの知識ではできるだけ書かないようにして、その時代に書かれた新聞記事や婦人雑誌の投稿欄などから当時の人々の声をできるだけ拾いたいな、というのはありましたね」

―当時の描写がすごくリアルですもんね。

中島「ありがとうございます、うれしいです」

―膨大な量の資料をお読みになったのでは、と思ったのですが。

中島「膨大というほどではないですよ。資料自体は読み始めたら埋もれて何年も出てこられないくらいの量がありますけど、それを全部読みこなして、ということはないです。
ただ、その時代の文献に当たるということはこれを書く時にやろうと決めていたことだったので、当時の新聞の縮刷版とか婦人雑誌、作家の日記など、できるだけ当時の人々の生の声が聞けるような資料に当たりたいと思いました」

―本作のように、ご自身が生きている時代とは異なった時代の物語を書くことは勇気が要ることではなかったですか?

中島「確かに、この時代は生きて体験した方もたくさんいる分、勇気は要りますよね。書いた後で“全然違う、何にもわかってない”と怒られることを想定しながら書くことになるので。でもそれはどうしても起こってしまうことですし、個人の体験って本当にバラバラなんですよね。同じ時代を生きていても、どこで、何歳で、どういう階層かによって体験は全然違うんです。
例えば作家の深田祐介さんってすごいお坊ちゃんだったんですって。この辺り(取材場所の文藝春秋社がある千代田区近辺)に住んでいて。それで面白かったのが、昭和19年のお正月に家族でスキーに行っているらしいんです」

―戦争真っただ中の時期にスキー!

中島「そう、すごくいいものを食べちゃったりして。そのことを本に書いていらしたんですけど、それを俳優の池部良さんが“自分が南方戦線で辛い思いをしている時にお前はスキーに行っていいもの食ってたのか”って言ったっていう話が書いてあったんですよね。場所や年齢や階層によってそのくらい体験が違うので、ちょっと仕方がないというか、“こんなのは真実を捉えていない”と怒られても“これはこれで”と思ってくださいというのが一つと、そういう風に言う人がいたとしても、戦争を経験された方々が生きているうちに書きたかったんですよね。そういう人達が読んでくれる間に」

―僕自身、作中に現代の大学生として登場する健史と年齢が近く、戦争に対するイメージも、彼が抱いていたものとほとんど一致したのですが、中島さんが持っていた戦争のイメージはどのようなものだったのでしょうか。

中島「やはり教科書やテレビのドキュメンタリーとか、8月になると突然やりだす戦争特集のイメージが強いので、健史が主人公の手記を読んだ時のように『戦時中がこんなに能天気なわけがないだろう』というものでしたね。当時の資料を読んでも『何でこの人たちはぼんやりとして楽しそうなの?』というのはありました。
もう一つ、私の世代だと祖母とか叔母に何となく聞いている話があって、それは今回当たった資料に近い、のほほんとしたところがある話でした。そういったイメージの噛み合わなさを自分の中で一度整理して知っておきたいと言う気持ちもあって、この作品を書きながら考えたというところがあります」

(第3回「あらゆる意味で、小説家になる前に仕事をしていて良かった」 につづく)
(第1回 受賞の日は朝からそわそわ を読む)


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