W杯一次リーグの真最中に内紛が起こって空中分解し、1勝もできずに敗退したフランス代表。フランスサッカー連盟(FFF)の抜本的な改革が求められている中、98年W杯の優勝メンバーから初めてFFF理事会入りしたリリアン・テュラム氏の発言が注目を集めている。

 W杯敗退後初の理事会は2日に開かれた。レキップ紙は理事会メンバーの発言を引用し、ユーロ2008まで代表メンバーだったテュラム氏が、もっともよくチームの内情に通じており、聡明で分析力にすぐれ、理事会内での発言力を高めていると指摘した。フランス代表キャップの歴代最多記録保持者という点も、信頼を厚くする要因となっている。

 そのテュラム氏が、今回の一連の内紛でもっとも重い事態として受け止めているのが、アネルカ追放後に起こった選手の“練習ボイコット”。理事会では「選手に厳しい制裁を科すべき」と主張し、とくに「主将のエヴラが二度と代表入りすることのないよう求めた」と報道陣の前で語り、衝撃を呼んだ。

 テュラム氏は翌3日、TF1局のインタビューでさらにくわしく持論を展開。今回の問題の原因が「FFFが監督に対する権威を欠き、監督が選手に対する権威を欠いた」ことにあると分析した。「選手が監督以上に権力をもってしまったのを見てショックを受けた。選手たちは自分たちの意見を力で押し通そうとした。その責任は主将にある。彼(エヴラ)が有罪だ。彼が二度と代表入りすることのないよう提案したが、そのこと自体が重要なわけじゃない。要は、選手たちに代表のユニフォームに敬意を払うよう理解させることだ」と説明した。

 南アフリカからの帰国後、“首謀者”とされるエヴラとアビダルは、練習ボイコットは選手全員で決めたこと、と主張した。しかしテュラム氏はそのように見ていない。「もしアンリが(ボイコットを決めた)バスから降りていたら、多くの選手が彼についていっただろう。彼がなぜ降りなかったのか理解できない。ほかの何人かと違って、彼は頭のいい男だ。どんなグループでも、間違った考えをもつ人々がいる。もし私が会長なら、アビダルが再び代表入りすることを認めないだろう」と語った。

 エヴラにつづきアビダルも名指しで批判したテュラム氏。その発言は、選手の中には練習ボイコットに反対の者が多くいたにもかかわらず、一部の“首謀者”がそれを許さなかった、という報道を裏付けることになる。そしてテュラム氏によれば、その“首謀者”にアンリは入っていない。たしかにアンリは帰国後のインタビュー(TF1)で、「(W杯予選の)“ハンド事件”後、選手の中心から外れ、みんなの兄貴分でいられなくなった」と目を潤ませながら語っていた。テュラム氏の意見は、ユーロ2008の際にも一部で囁かれた“世代間対立”を現場で体験した者の見方として核心をついているのかもしれない。

 しかし一方でテュラム氏の“戦犯発言”が、98年優勝メンバーの結束すら揺るがせる事態にもなりつつある。ビシェンテ・リザラズ氏がテュラム氏に賛同したのとは対照的に、クリストフ・デュガリ氏は「発言は行き過ぎ。スキャンダルだ」と激しく抵抗を示した。デュガリ氏はカナル・プリュス局で、「たしかにエヴラは大バカをやった。彼には主将の役割が大きすぎた。しかし問題は、その役を負った彼ではなく、それを負わせた人たちにある。それに、選手の責任を追及するのは、テュラムの役割ではないはずだ。リリアンよ、いつから監督になったんだ?」と、今後の代表メンバーを選定する権利はあくまでローラン・ブラン新監督にあり、テュラム氏の発言は越権行為だと主張した。

 またデュガリ氏は、テュラム氏が理事会メンバーであることにも着目し、「エスカレット(FFF)会長は辞任した。ドメネクももう監督ではない。その形はどうであれ、結果的にそれぞれが責任をとったことにはなった。では、理事会はどうなる? FFFの意思決定機関である理事会も責任の一端を負わなくてはならないはずだ」とテュラム氏のとる“政治的立場”に不快感を示している。会長と監督のクビが切られたあとも、“戦犯探し”の議論は紛糾をつづけそうだ。