「私たち、友達だよね」と口にして確認するとき、大抵の人はそれで仲間の絆を確認していると思うだろう。「家族なんだから」という言葉もそうだ。家族の絆が強調されていると思うに違いない。

 でもよく考えてみると、そこでは絆が確認される一方で、友達ではない人たちや家族ではない人たちのことも、実は語られているのだ
 
 たとえば、「友達や家族じゃない人たちは必ずしもあなたの味方じゃない。そこまでは助けてはくれない」というようなメッセージが暗に含まれているのである。

 「友達」や「家族」がわかりやすい例だが、人々が一体感や愛着を抱く集団のことを特に「内集団」と呼ぶ。内集団は仲間や味方と意識され、自然発生的に組織された集団であることが多い。「身内」という感覚で括られる集団のことだといってもいいだろう。「友達じゃないか」「家族じゃないか」という言葉には、暗にそれ以外の人々との差異が含まれている。「身内」が親密な他者であるとすれば、「よそ者」として名指しされる他者は、違和感のある存在や注意すべき存在であると意識されているわけである。「よそ者」と意識される他者のように、「身内ではない」と意識され、「私たち」という言葉で括れない人々の集まりを「外集団」と呼ぶ。

 内集団と外集団は第三者が外から判断して「こっちが内集団」「あっちが外集団」と区別できるものではない。また、どちらか一方だけがあって、他方がないということもあり得ない。内集団と外集団という区別は、あくまで主観的なものである。

 それゆえ、内集団に感じられる一体感や愛着と、外集団に感じられる違和感や対抗心とは常に表裏一体になっている。一般的には、内集団への一体感が強ければ強いほど、外集団への対抗心は強くなる傾向がある。このことをうまく利用すると、スポーツなどではチームワークの結束を促し、対戦相手への闘志をみなぎらせることができる。

 「打倒○○!」といったスローガンがよい例だが、この内集団と外集団の関係が、国家や民族の関係で過剰に意識されるようになると難しい問題が出てくる。歴史をみても、内的な結束を図るために他国を故意に敵視し、その結果、戦争が勃発することもあった。

 内集団に対する一体感や愛着はそれ自体、何ら批判されるようなものではない。しかし、その感覚が政治的に利用される場合には、大きな災厄の火種になる。それゆえ私たちは、絆を確認することは他とその関係を区別することでもある、ということを強く意識しておかねばならない。

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『本当にわかる社会学』
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 出版社:日本実業出版社
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