「47都道府県の面積をすべて足すと、日本の総面積になる」

 これは○か×か。

 正解は×。実は地理の世界には単純計算では正解をだせない"事情"がひそんでいます。現実には、都道府県の面積の総計は、日本の総面積よりも1万3399平方?(東京都約6個分)も少なくなるのです。

 という具合に、世界と日本の「地理」には、学校の授業であまり触れられない話がいくつもあります。書籍『学校ではぜったい教えてくれない世界地理のツボ』では、そんな数々のツボを紹介しています。ちなみに総面積にならない"事情"は、日本列島には「県境の未定地域」があるから。新潟県や富山県の境には3522平方?もの県境未定地があるのです。

 他にもこういったものがあります。

 「武蔵と小次郎の決闘が行われた巌流島。その巌流島が決闘の頃よりも面積がなんと5倍にもなっている」

 山口県下関市沖、関門海峡に浮かぶ巌流島といえば、江戸時代初期、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したことで名高い島。ただ、巌流島というのは正式名称ではなく「船島」が正式名。巌流島は、武蔵と小次郎の決闘にちなんでつけられた、いわば通り名。小次郎の剣の流儀が「巌流」だったため、あるいは小次郎が「巌流」と名乗ったことから「巌流島」の名で親しまれるようになったのです。

 巌流島は、昭和の終わり頃にはアントニオ猪木がプロレス試合を行ったことでも有名です。当時、プロレス中継を見た人には、意外に大きな島といった印象を持った人も多いのではないでしょうか? 実際、武蔵と小次郎が決闘した江戸時代初期の頃と比べると、いまの巌流島は約5倍にも広くなっているのです。

 面積が5倍にもなったのは、埋め立てが行われたから。明治以降、埋め立てが始まり、その埋め立て地にコレラ患者の療養施設が設けられました。当時、日本はコレラの危機にさらされ、強力な防疫策がありませんでした。そこで伝染防止のため、コレラ患者をこの島に隔離した歴史があるのです。

 戦後になって一時、移住者がいたもののいまは無人島になっています。巌流島には「佐々木巌流之碑」があり、武蔵と小次郎の決闘場を思わせるような砂浜があります。しかし、それは人工の海浜で、後世、決闘シーンのイメージに合わせて造った埋め立て地だったのです。



『学校ではぜったい教えてくれない世界地理のツボ 』
 著者:おもしろ地理学会
 出版社:青春出版社
 >>元の記事を見る





■ 関連記事
『アメトーク』が人気の理由〜『アイデアを盗む技術』(2010年6月1日06:55)
新入社員の正論はなぜ通じない?〜『新人諸君、半年黙って仕事せよ 』(2010年5月31日15:33)
成功したい人へのアドバイス〜『大事なのは今のあなたじゃない。この先、どのくらい上を目指そうと思っているかだ。』(2010年5月31日07:43)


■配信元
WEB本の雑誌