「歌鬼3〜阿久悠×青春のメロディー〜」 / 2010年07月14日発売 / 3,000円 (税込) / UPCH-20201

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 総作品数5,000曲以上、シングル総売上枚数6,821万枚(日本歴代1位、オリコン調べ)を記録し、2007年8月に惜しまれながらこの世を去った作詞家・阿久悠氏。翌2008年には彼のトリビュートアルバムシリーズ「歌鬼(gaki)」が発売され、レコード大賞企画賞を受賞。7月14日に発売を控えるシリーズ第3弾では、8組の実力派アーティスト達が一切の楽器を使わず、ア・カペラ&コーラスアレンジで時代を彩った昭和の名曲に挑み、阿久悠氏作詞による未発表曲「泣き方を知らなかった」も収録。発売に先立ち、同シリーズのプロデュースを務める山崎一稔氏に話を聞いた。

――今回で「歌鬼」シリーズも3作目になりますが、さかのぼって2008年に1作目を発売されるに至った経緯をお聞かせ頂けますか?

山崎一稔(以降、山崎):まず1枚目をスタートさせた時点で、シリーズ化することは決まっていなかったんですよ。だから、その時は「曲がものすごくあるから、どうしようかな? 2枚組にしようか」とか色々考えたけど、やっぱり最初は王道のものを作ろうということになった。音楽業界全体から見られている、という意識があったので、我々はまず「阿久さんの名前を汚さないように」という緊張感が結構あったんですよ。選曲の幅は広くして、色んな方に参加して頂いて。結果、レコード大賞の企画賞を頂き、それなりに褒めて頂いたなと。まぁ阿久さんが褒めてくれたかどうかは分からないんだけどね(笑)。とりあえず業界的には「よくやった」と言われたんだなと思い、そこから「じゃあ、次も行っちゃおうかなー!」って感じで、セカンドを作ろうと図にのりだした訳です(笑)。

1枚目の時に作った「歌鬼」という名前は造語ですけど、「あんたをまだ、死なせやしない。」という素晴らしいサブタイトルをコピーライターの方に書いていただいた。「セカンドは『歌鬼2』でいいじゃない」って簡単に決まったんだけど、サブタイトルが決まらない。「まだまだ、死なせやしない。」とか、ふざけた意見も出たんですけど(笑)、1枚目のシリーズ的な流れで、更に色んなアーティストで、という手もあったけど。阿久さんと70年代に活躍したフォークシンガーとの“VS”という事に決めました。当時は考えられなかった人達との出会い、合流をやってみよう、という企画ですね。その後にスピンオフ企画として、ちょっとした遊び感覚でやってみようということで、ピンク・レディーの曲だけで「Bad Friends(あく ゆう)」というタイトルでアルバムを作りました。阿久悠トリビュートというシリーズ化の流れの途中で、レコード会社がポニーキャニオンに移った、というのも珍しいことだと思います。浮気の後、また元に戻った(笑)。

阿久さんが最も活躍した70年代、80年代は、日本の音楽業界の中で、最も面白い時代だったと思う。70年代に入る前にグループサウンズという流れがあって、そこから色んなアイドルの要素を持った人が飛び出してきた。オリコンのチャートを見ると、洋楽も邦楽も演歌もクラシックも何でもアリの、今では絶対に見られないようなランキングだったんですよ。色んなジャンルが平等にレコード店に置かれていた時代です。その頃、「どうやったら面白いものが、売れるものが作れるか?」って、GS時代を走ってきた作家達とプロダクションがしのぎを削ったバトルみたいな状況だったと思う。阿久さんはGSブームに乗り遅れた方なんだけど、ここで花が咲くんですね。作詞家は、昔の歌謡曲のパターンを打ち破ってどんどん新しい言葉を入れて、世の中の出来事を歌詞の中に反映していった。阿久さんは、よく「時代を先取りした」と言われているけど、確かに時代の動きを敏感につかみ取って、それを歌詞にして、時代がその通り動いたみたいに見えます。阿久さんが本当に時代を動かしたんじゃないんだけど、予想がぴったりと当たったという感じですね。結果、あれだけの数のヒット曲が出た。