Chris Kohler

(1)から続く


岩谷氏: 初めてのテスト機は、今はもう存在しない渋谷の建物に設置されました。7階建てか8階建ての、細い、煙突のような形状をしたビルで、映画館が数館入っていました。その最上階には細長い部屋があり、映画を観たカップルたちが、帰宅する前にそこに上がってテスト機を楽しんでいました。つまり彼らは、必ずしもいわゆるゲーマーではなかったのです。

一日中プレイするようなコアな人たち向けではなかったので、これがメジャーヒットになるとは私たちは考えていませんでした。どちらかというとスピードの遅いリラックスしたゲームなので、米国やヨーロッパでこのゲームが受け入れられるとは考えていませんでした。当時、日本国外ではもっとスリリングなゲームが一般的でしたので、『パックマン』のリズムは海外ユーザーのニーズにあっていないのではないかと私は感じていました。

ワイアード: ゲームは元々はPuck-Manという綴りでしたが、米国向けに変えられたのですよね。PをFに変えられるのではという恐れから。

岩谷氏: そう、米国子会社がそういって反対したのでPackmanに変えました。

ワイアード: 岩谷さんは、米国でMidway社が販売した『Ms. Pac-Man』にはかかわっていらっしゃいませんね。[Ms. Pac-Manは日本では発売されなかったが、米国ではパッマンをしのぐヒットとなった]


Ms. Pac-Manのゲームマシン。画像はWikipedia

ワイアード: 岩谷さんは、『パックマン』以降は、『リブルラブル』1作しか開発はされていないのですよね。

岩谷氏: そうなんです。リブルラブルは面白かったんですが、プレイは難しいゲームでした。今でもコアなゲーマーには人気がありますが。

ワイアード:リブルラブルの後、なぜゲームの制作をお止めになったのですか?

岩谷氏: その後私はプロデューサーになりましたから。当時のナムコは小さい会社で、組織が拡大したために私はセクションのチーフに昇進しました。若い開発者たちを誰かがコーディネートする必要があったのです。野球チームの選手ではなく、マネージャーにね。


ナムコバンダイの東京本社にあるオリジナルのマシン

{この翻訳は抄訳です}

[1999年に米国のBilly Mitchell氏がパックマンでパーフェクトゲームを達成したことを紹介する日本語版記事はこちら]

WIRED NEWS 原文(English)

  • 携帯電話を駆使した「人間パックマン・ゲーム」2004年5月27日
  • 懐かしのテーブル型ゲーム機を現代に蘇らせよう2002年1月24日
  • 『パックマン』でパーフェクトゲーム達成1999年7月9日