『謹訳 源氏物語』著者の林望さんが語る『源氏物語』の魅力とは?(3)
 遥か昔から読み継がれてきた『源氏物語』の魅力や平安文化について、今回『謹訳 源氏物語』の著者、林望さんにお話を伺ってきたこのインタビューだが、『源氏物語』のような古典文学に現代人が触れる意味とは一体何なのだろうか?平安時代と現代を結ぶ大型インタビューの最終回。最後までじっくり読んでみてほしい。

■「『謹訳 源氏物語』を声に出して読んでほしい」

―『源氏物語』には男女間を中心とした華やかな交友関係が描かれていますが、当時の男性は女性のどんな点を見ていたのでしょうか。

林「それは今と変わらないと思います。ただ、“深窓の令嬢”という言葉がありますが、当時の宮中の女性、いわゆるお姫様というのは奥の方に隠れているので顔を見ることができないんですよ。だから評判とかで恋をする。外見を見て判断できないから、小出しに和歌を贈ってみる。その返事を読んで“なかなかこの人は教養があるな”と興味を持ったら、また贈ってみる。そういうやり取りをしながら少しずつベールを剥いでいくんです。親しくなってくると近くに行って声を聞くとか、最後には顔を見ることもできるのですが、顔を見る時はベッドインする時ですね」

―『謹訳 源氏物語』は今後続々と出版されますが、その他の古典も“謹訳”する予定はあるのでしょうか。

林「今のところはそういう予定はないですね。今回の『源氏物語』は全10巻ですが、それを訳し終えた後にどんな人生が展開するかは予想がつきませんから。瀬戸内寂聴さんだって、もしかしたら『源氏物語』以前と以後とでは人生が変ってしまわれたかもしれませんね。
だから、私も『源氏物語』を訳し終えた後に、どんなふうに自分の執筆世界が広がっているかは全く予想できません。出家はしないと思いますが(笑)」

―現代人が古典に触れる意味があるとしたらどんな点だとお考えですか?

林「我々は平成時代を生きていて、平安時代とは無関係で別世界だと思いがちですけども、この本を読むとそうは思えないはずで、強く共感できるところがあると思います。つまり、同じ日本人なんだとわかると思うんですね。そういう意味で、日本人とは何なのか、ということを考えさせられます。
日本人が自信を失ってしまっている現代ですが、古典に触れることで、日本人は大昔からこんなに素晴らしい文学、言語、世界を持っていたんだということを感じます。そうなると日本語を大切にしようとか、日本文化をもっと知りたいというような愛国心が出てくるじゃないですか。それが大事なんだと思いますね」

―“日本人”というお言葉が出ましたが、『源氏物語』は外国人にはやはり理解しがたいものなのでしょうか。

林「理解できないということはないと思いますが、僕らも翻訳された外国文学を読む時に、なんだか隔靴掻痒の感がありますよね。
イギリスのダンテ・ゲイブリエル・ロセッティに『サイレント・ヌーン』という有名な詩があるのですが、“Buttercup”や“Cow parsley”など、草の名前が出てきます。“Buttercup”はButter(バター)のCup(カップ)、“Cow parsley”はCow(牛)のParsley(パセリ)なのですが、ここからはイギリス人が牧畜民族だということが感じ取れますよね。これを日本語で“キンポウゲ”“ヤブニンジン”と訳してしまうとその文化が全くわからない。言葉の背後にある文化が抜け落ちてしまって、イメージがそのまま伝わらないことがあるんです。厳密にいえば文学は母語でしか成立しないのではないかと思いますね」

―確かに、今のお話は象徴的ですね。

林「文化にはそれぞれの民族性があります。トルストイやドストエフスキーを日本人が読むとしつこく、くどく感じがちなのは、余白にものを言わせる我々の文化とは対極にあるから。ドストエフスキーに“柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”の世界を表現させるとしたら、その周辺の説明から始まって35ページくらいの記述になってしまうでしょうね。
また、最近日本でもニーチェが流行っているようですけど、ドイツ人と話してみてごらんなさい。私がドイツに行った時、ドイツ人の友人とコインランドリーに行ったんです。そうするとコインランドリーを如何にして使うかという理屈を延々と話すんですね。こちらからすると“どう使ったっていいじゃないか!”と思うんですけど“そうじゃない、それは正しい使い方じゃない”と。とにかくものすごく理屈っぽくて、何もかも分析して理屈で説明しないと気が済まないんです。でも我々は以心伝心の文化。ですから私たちがニーチェを読んでも閉口するばかりなんですよね」

―最後に読者の方々に向けてメッセージをお願いします。

林「本は娯楽です。勉強のために読むのではなく娯楽だと思ってほしい。誰もが読まなければいけない必読の書なんてものはなく、読みたければ読み、読みたくなければ読まない、それが読書の本来です。『謹訳 源氏物語』も娯楽として読んでほしいと思います。特に、声に出して読んでもらいたいですね」

■取材後記
 古典に限らず、日本文化そのものへの林さんの膨大な知識量には感服するばかり。
 高校の授業や大学受験の勉強が『源氏物語』との最後の接触となってしまっている人は多いと思うが、こうして現代語訳されたものを読むと、当時は気づかなかった魅力に気づかされる。
 古文は退屈で面白くない、学生時代にそう思っていた人にこそこの“謹訳”を読んでもらいたい。
 『源氏物語』をはじめとした古典文学が優れたエンターテイメント作品の宝庫であることに気づくはずだ。
(取材・記事/山田洋介)

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