『謹訳 源氏物語』著者の林望さんが語る『源氏物語』の魅力とは?(2)

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 古典文学の傑作『源氏物語』が、現代小説を読むように読める“謹訳”として生まれ変わった。前回は訳を手がけた日本文学者・林望さんに、源氏物語の魅力についてお話を伺ったが、今回は平安時代の風俗について。『源氏物語』のいたるところで目にする“和歌”だが、平安時代の人々の間で和歌はどのような意味を持っていたのか?注目のインタビュー第2回!

■「光源氏はあり得ない存在だからこそいい」

―今回の『謹訳 源氏物語』について、古文の良さを残しつつ、現代人に読みやすいように訳すというのは大変な苦労を伴ったかと思いますが、どんな点に最も苦心されましたか?

林「和歌の箇所だと思います。『源氏物語』に限らず平安時代の物語というのは、和歌を読ませるための装置という意味合いがあって、当時の物語で和歌が出てこないものは一つもありません。他人に何かを伝える時に、和歌を詠うことによって相手の心に思いを届けていたということですから、和歌というのは非常に重要なメディアだったんです。これを無視してしまうと源氏物語の一番肝心なところが抜けてしまいます。
『源氏物語』にも和歌がたくさん出てくるのですが、和歌だけ読んでも意味がわからない。じゃあ、その和歌の現代語訳だけを載せると、元はどういう和歌だったんだろう、と読者は必ず思うはずです。また、掛詞や倒置もあからさまに説明してしまうと読んでいて面白くありません。だから和歌は和歌として出し、隣に現代語訳を添えたのですが、掛詞や倒置も、読みながらそこはかとなく理解できるように訳しました。
全部をそのように訳すのは大変ですよ。今までにやった人はいないと思いますが・・・」

―今おっしゃっていたような「和歌でのコミュニケーション」というのは当時一般的だったのでしょうか。

林「そうです。これは宮中の人だけでなく一般の人も同じですね。『万葉集』からも窺える通り『歌垣』という風習があって、男と女が歌を闘わせるわけです。それはお互いに口説き文句になっているわけですね。それが抜き出されれば相聞歌ということになるし、勅撰集であれば恋の歌ということになりますね」

―それは現代人にはもうできないかもしれませんね。

林「でも、自分の思いを代弁しているような歌が入ったCDを、異性にプレゼントして、ということはありえるでしょう」

―あ、それは和歌のやりとりに似ていると言えば似ていますね。

林「そう、それを自分の和歌でやっているだけですから。言ってみればシンガーソングライターなのであって、和歌という文字ではなくて自分の作った歌を美しいメロディーで歌っていたんですね。(現代人も)CDを贈るのでなく自分で歌えれば一番いいですよね」

―光源氏を現代人にたとえると、どなたか当てはまる人はいらっしゃいますか?

林「ちょっと思いつかないですね(笑)。源氏みたいな人は存在しないでしょう。でも、あり得ない存在だからいいんですよ」

―訳す時は、登場人物の考え方や気持ちにも思いを馳せるかと思いますが、林さんの訳のスタイルを教えてください。

林「いつも訳す時は登場人物になりきっていますよ。源氏になりきったり、頭中将になりきったり。スタイルでいうと、文章を単純に現代文に置き換えるのではなく、古文を一度自分の中に取り込んで、自分の心の声を聴きながらそれを現代文で語り直すというスタイルですね」

―源氏になりきっている時というのはどんな気持ちですか?

林「いやあ、そりゃ気持ちがいいですよ(笑)」

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第3回 「『謹訳 源氏物語』を声に出して読んでほしい」 を読む

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