神社で祈るのも信仰!? 宗教にまつわる素朴な疑問を解消『なぜ人は宗教にハマるのか』

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 宗教と言うと、何を思い浮かべるだろうか。

 怪しい、危険だ、関わるとお金を巻き上げられる......。日本では、マイナスイメージが強く、何かしらの宗教に入っている人とは一歩引いて接してしまっている場合が多いかもしれない。それは、1995年に起きた地下鉄サリン事件や、01年のアメリカ同時多発テロなどの衝撃的な事件が、"宗教は信仰のためなら人殺しをも辞さない"という印象を作りあげ、攻撃的でない宗教に対しても不信感を募らせているように思える。

 けれど、アジアや中東を訪れると、年齢や趣味を聞くことと同じぐらいの調子で「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれる。それに対して、ほとんどの日本人は、「お寺で葬式を行うし、仏教かな。でも別に信仰しているとは言えないし......」と悩んだ末、「無宗教」と答えるだろう。

 だが、本当に無宗教なのかと考えてみると、正月の初詣や結婚式など、重要な時期や出来事には、いつも寺や神社が関わっているし、神社に訪れる機会があれば、深く考えることもなく賽銭を投げ入れ、「今年も健康でいられますように」などと祈ってみたりする。

「何もない空間に向かって祈るわけはなく、そこに神が存在していることを前提に祈っているのではないだろうか」

 これは、本書『なぜ人は宗教にハマるのか』(著:島田裕巳/河出書房新社刊)に書かれている内容を一部要約したものだが、言われてみれば確かにその通りで、物心ついた時からの習慣になっている。物心ついた頃から、という点で言えば、例えば、戒律が厳しいように見えるイスラム教においても、わたしたちが何となく神社で祈っているように、1日5回神に祈ることを習慣として、欠かせないものになっているように思える。ただ、宗教と意識して祈っているか、意識していないかが、日本とイスラム教徒では大きく異なる。

 著者の島田裕巳氏は、『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)では、創価学会を始めとする新興宗教の現状を綴り、『葬式は、要らない』(同)では、他国と比べ異常なまでに費用が高い日本の葬儀は本当に必要なのかと疑問を投げたり、身近な宗教を研究する宗教学の第一人者。学生時代には、「ヤマギシ会」という、農業を基盤とした共同生活を特徴とした団体に世俗生活を捨て、7カ月ほど入った経験があり、信者目線からも宗教を考えられる人物だ。

 本書には、「親に押しつけられる宗教もある」「学校が宗教」「友だちの宗教」「宗教って何だろう」「危険な宗教もある」などの項目が並ぶが、その中でももっとも興味を引くテーマが、「どうして宗教にハマるのか」。

 普通に生活している中で、人はどういう経緯で宗教の信者となるのか。そのきっかけ、原因、さらには宗教が流行する時代背景までもが書かれ、簡単に理解できるよう説明されている。

 宗教に関する本は、始めはすんなり読み始められても、専門家が書くがゆえに、どんどんと話が込み入り、複雑になりすぎて、最後には読むことを断念してしまうことが多い。けれど、この本の対象読者は、"中学生以上大人まで"なので、非常に分かりやすい。

 生きていれば、幸せに暮らしたいと願う。それが、人によっては、何かしらの宗教を信じ、祈りを捧げ、心の安定や安らぎを得ることかもしれない。無理に押しつけられる宗教は困るが、本人が宗教によって幸せで満たされているならば、それを否定する理由は何もない。

 とは言え、外国人ならともかく、日本人で何かしらの宗教に入っていると聞くと、やっぱり違和感を受ける。この違和感の理由はどこから来るのか。そもそも宗教は、一体、何なのか。宗教のことを一度じっくり考えてみる良い機会になるかもしれない。
(文=上浦未来)

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
1953年生まれ。東京都出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。専攻、宗教学。95年のオウム事件に際し、事実誤認報道に基づくメディアのバッシングに遭い、日本女子大学を辞任。その後、オウムの考察を糸口に、探求の対象を現代日本社会全体に拡げて『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)に結実した。現在は、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。



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