写真家であり小説家でもある藤代冥砂。彼が女性誌『with』で女性をテーマに、コラムの連載をしていたことをご存知だろうか。この"番外地"ともいえる場所で、藤代氏が紡ぎだしたコラムは、女性が書く女性の本にはない「優しさ」や「厳しさ」が見え隠れする。

 たとえば、「かしこい女子」については次のように語っている。
 
 馬鹿な女でも恋はできるし、その先もある。恋されたりもするし、相手をふることもできる。何も心配はない。ただ、馬鹿な女の魅力は短命。男がそれを愛する時間は思いのほか短い。しかし、馬鹿な女を愛する時ほど、男の想いはなぜか瞬間的に目一杯のものになるので、その分、女にとってたちが悪いものとなる。
 
 馬鹿な女は隠しておいたひと粒の純粋さを根こそぎ奪われ、一人残されることが多い。だが、男が悪いわけでも、女が悪いわけでもなく、それが愛情の行方というものだと思えば仕方がない。止まれぬ愛情の結果は意図してどうにかなるものでもないのだから。
 
 そもそも馬鹿な女は、自分の魅力を垂れ流してしまうのがいけない。相手構わず全開で垂れ流すその姿は、魅力ではあるがちょっと不浄な感じがする。つまり、馬鹿に見える。

 そんな馬鹿な女の魅力の短さに比べると、賢い女の魅力は、うまくすれば一生持つ。なぜなら賢い女は自分自身の魅力を守ろうとするから。賢い女は、当然自分の魅力が何かを知っている。女は、女の子の時から、自分の可愛さについて意識し続けているので、年季が違う。賢い女は自分の魅力を熟知している。逆にいえば、それができていない女は、賢くない女である。
 
 だが、本当のことを言ってしまえば、そんな賢い女が最後に結ぶ人生の実は、なんだか味気ないと思う。そつなく生きるだけの一生。むらのない日々、そして感情。絵に描かれるような豊かさと趣味の良さ。

 私は、もう少し自分の人生を持て余しているような女が好き。届きそうなものに手を伸ばさずにいたり、そもそも幸福について考えたりしない女に、"色気"を感じる。決してだめな女がいいわけではないけれど、賢い女はどうも苦手。一緒にいて疲れるほどではないけれど、自分の人生に深く関わってもらえそうにない。

 「自分の人生をゆっくりと見送っているような人。そういうしまりの悪い女と関わっていきたい」

 そういう女の横顔と、その時彼女が見ている風景とが似ていたら、実に素敵だ。そういう瞬間を見逃さない男でいたい。

 
 つまり、藤代氏が言いたいことは、"賢さを覚え、忘れた女が、実は一番賢い"ということ。名だたるグラビア雑誌の表紙やグラビアページ、また写真集などで旬な女優やモデル、アイドルなどを撮り続けてきた藤代氏。その彼がレンズ越しに見てきた女性の魅力についてのこの一家言。共感できる男性諸君も多いのではないだろうか?



『合格★女子』
 著者:藤代 冥砂
 出版社:講談社
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