ハリホジッチ監督の解任に伴い、指揮官の座が空席になっているW杯出場国のコートジボワール。後任をめぐってさまざまな情報が飛び交っているが、その有力候補とされるフィリップ・トルシエ氏が12日、フランスのレキップ紙に状況を明らかにした。

 トルシエ氏は、コートジボワール・サッカー協会の幹部と会ったことを認め、後任は「私とヒディンクの争い」に絞られたことを明かしている。

 トルシエ氏によると、協会が真っ先に白羽の矢を立てたのが、8月1日からのトルコ代表監督就任が決定しているフース・ヒディンク氏だった。同氏は、昨年チェルシーでドログバやカルーを指導した経験がある。ただしここへ来て、ヒディンク氏がフランス語を話せないことに対する不安がメディアで指摘され、国民の間に“トルシエ待望論”が生まれはじめたという。あとは、ヒディンク氏が6月末まで残るロシアとの契約を中途で解除できるかどうかも左右する。

 いずれにせよ、ヒディンク氏がW杯終了までの“腰掛け監督”であることに変わりはない。一方トルシエ氏は、「私の計画は2012年、いや2014年までを視野に入れている」と強調する。もちろん「80日でチームをまとめたい」と南アのW杯でも勝ちにいくつもりだ。「個人的には、W杯も2012年アフリカネーションズカップも勝てると思っている」と強烈にアピールしている。

 その根拠として、「技術的に非常に才能あふれたチーム。ちょっとレアル(・マドリー)のようだね」と選手個々の高い能力を挙げる。ただし現状では「力が発揮されるのはボールをもっているときだけ。試合というのは、ボールをもたない場面での動きにもかかっている」とポジショニングや組織プレーを改善すれば、W杯での「大躍進は十分可能」と自信たっぷりだ。

 加えて、トルシエ氏はフランスとコートジボワールの二重国籍をもつ。1993年には同国の代表監督を務め、その前の3年間は同国1部リーグのASECミモザの指揮をとった。「この国では105試合負け知らずだった。“白い魔術師”の称号はそのときに得たものだ」と自身の利点を力説する。

 1993年に代表監督を解任されたことは「理由がわからない」と振り返るトルシエ氏。一説には協会との対立が原因とも言われるが、もう17年も前のことで、しこりは残っていないようだ。「決定を下すのは私ではないが(...)、W杯に向けてきちんと準備するためにも、状況は急を要する」と3月20日までには決まるよう望んでいる。トルシエ氏のインタビューが掲載されたレキップ紙は、フランス語圏で非常に影響力の高いメディアだけに、今回のアピールがコートジボワール国内で大きな反響を呼びそうだ。