「神待ち少女」の実態とは?現代の若者の姿に迫るノンフィクション―『神待ち少女』

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 「神待ち」という言葉をご存じだろうか。もちろん、これは宗教の話ではなく、現代社会の中で起きているとある現象についての言葉である。
 実はここでいう「神」に、あなたにもなることができる。誰にでも「神」になることができる。

 住所不定の家出少女を自宅に宿泊させてあげたり、食事をご馳走すればそれだけで「神」なのだから。

■「神待ち」とは?
 「神待ち」とは、家出やその他の理由で住居が定まっていない少女たちが、インターネットの家出サイトやプロフィールサイトを使い、寝泊まりできる場所や食事を提供してくれる男を求めていることを意味する。重要な点は、その際に見返りとして肉体関係を求めるような男は「神」と呼ばれない。
 つまり、彼女たちは何の下心もなく“無償で”住居や食事を提供してくれる男を求めているのだ。

 これはかつて問題となった“援助交際”との明らかな違いだ。双葉社から出版されている『神待ち少女』はそんな少女たちの実態を追ったノンフィクションだが、その著者である黒羽幸宏氏は、本書の中でこう書いている。

 過去の家出少女たちは、金を稼ぐために自分の体を売った。正しいことでは決してないだろう。しかし、そこには自尊心があった。なにもせず金銭を男からめぐんでもらうのは最低の行為だと思っていた。自分の体を売ってでも、己の境遇をどうにか切り開こうとした。(中略)ところが神待ち少女たちはどうだ。自分はなにもしないが、金をくれ、飯をくれ、泊らせろと書きこむだけ。(18ページより引用)

 自分は何もせずに、何かを与えてくれる人の出現を待つ―それが「神待ち」の姿なのだろうか。
 もちろん、少女たちそれぞれに事情があることは想像できる。しかし、これを怠惰と取るか、新しい価値観の出現と取るかは判断の分かれるところだろう。

 社会人として働いていると(特に単身者だと)、自分より若い世代の人々の性質の変化には疎くなるもの。本書を読んで、現代の若者の“今”を感じてみてはいかがだろうか。10代の頃には思いを馳せることのなかった若者たちの問題も、社会人としての経験を積んだ今なら何らかの意見を持つことができ、「神待ち少女」たちの裏にある本当の問題に対しても、考えられることがあるはずだ。
(新刊JP編集部/山田洋介)


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