「チェルシーを倒しても喜ばない」。インテルのジョゼ・モウリーニョ監督のような人物から、こういう言葉が出ることは、予想していなかったかもしれない。だが、彼は常に驚かせることをやめない人物だ。彼は常にそうだった。イタリアへ来てからは、すべてに怒り、ロンドン時代と同じように騒動を起こしている。ここではチェルシー時代にモウリーニョ監督が主役となった騒動を振り返ってみよう。

2004年12月、ポルトでのチャンピオンズリーグ(CL)の試合前、チェルシーの指揮官だったモウリーニョ監督は、「ポルトへ行くのに4、5人のボディガードが必要? そうだろうね。パレルモへ行けば必要だろう」と語った。2つの街の名前を出したことは、ポルトがパレルモのようにマフィア的だということを示唆している。その前シーズン、モウリーニョ監督はポルトの指揮官としてCLを制覇したが、トロフィー獲得を祝っていなかった。その後、チェルシーへ行くことで死の脅迫を受けていたことを明かす。だが、パレルモの人たちはこれに激怒し、指揮官は謝罪した。

かつていたクラブに怒りをぶつけるのも、モウリーニョ監督の特徴だ。彼はバルセロナでファン・ハール監督のアシスタントだった。そしてそのバルセロナとの対戦は、穏やかなものではなかった。CLでの対戦時、モウリーニョ監督はバルサのフランク・ライカールト監督に怒りを見せた。「ハーフタイムにライカールトが審判の部屋へ入って行くのを見たときは、信じられなかった。(ディディエ・)ドログバが退場になったときは、驚かなかったね」。このとき主審だったフリスク氏は、モウリーニョ監督の非難に続いて死の脅迫も受け、審判活動をやめることを決意した。このとき、UEFAのロース氏は、モウリーニョ監督をサッカーの敵と称している。結果は、2試合のベンチ入り禁止。さらに、デル・オルノを退場させたメッシに対しても、「バルセロナは偉大な劇場のある、素晴らしい文化の中心だ。そしてこの若者は、うまくそこから学んだ。彼はプレーしながら演技することを習得したんだ」と言い放った。

プレミアリーグで最もモウリーニョ監督と問題があったのはアーセナルだ。05年6月、当時アーセナルでプレーしていたアシュリー・コールと接触し、プレミアリーグのルールに抵触したとして、7万5000ユーロ(約930万円)の罰金処分を科され、モウリーニョ監督はアーセン・ヴェンゲル監督を激しく批判した。「ヴェンゲルは我々とたくさんの問題があり、私は彼がのぞき魔だと思う。他人の家を覗くのに望遠鏡を持っている人間がいるが、彼はその一人に違いない。病気だよ」。ヴェンゲル監督は法的措置も検討したが、その後両者は和解した。また、エヴァートンもチェルシーGKイラーリオのケガを引き起こしたアンディー・ジョンソンを信用できないと言われ、法的措置を検討したが、モウリーニョ監督が謝罪して事は収まっている。