【新華網杭州=余靖静】 800年ほど前に日本の僧侶が中国杭州の径山寺で弟子入りし、そこから中国の禅茶文化を日本に導入、日本茶道に発展したことが現在日本の史料で実証された。
径山寺がある浙江省杭州市余杭区文化部門の調査結果では、日本の18世紀に編纂された「類聚名物考」(るいじゅめいぶつこう)に記載されているところでは日本の僧侶・南浦紹明(なんぽ・しょうみょう)は1259年に径山寺の茶文化であった「径山茶宴」を日本に導入したという。この「類聚名物考」こそ「径山茶宴」が日本茶道の源であることを裏付ける重要な文献史料だ。
これまで日本の学者を含む多数の専門家や学者は「日本茶道は径山茶宴に源を発する」と主張していたが、それを実証できる確実な文献史料がずっと発見されていなかった。
09年から、杭州市余杭区文化広電新聞出版局は径山禅茶文化研究に力を尽くし、日本の関西大学図書館で関連文献を見出した。
18世紀の江戸時代中期の国学大家である山岡浚明(やまおか・まつあけ)が編纂した「類聚名物考」第4巻には、「筑前国崇福寺の開山南浦紹明、正元(1259年)のころ入宋し径山寺虚堂に嗣法し、文永4年(1267年)に帰朝す。其頃台子一かざり径山寺より招来し崇福寺の什物とす」と記録してある。
余杭区文化広電新聞出版局は、「日本茶道が中国の径山茶宴を起源としていることは同史料に明記されており、径山茶宴が日本茶道の源である重大な証拠だ」としている。
径山寺の禅茶文化は唐に遡ることができる。僧侶は茶宴を催し、座禅修行を行ない、独特の礼儀作法を形成した。同寺は宋になって隆盛を極め、「東南第一の禅寺」と称され、中日禅茶交流の中心地となった。「茶聖」と称される陸羽は径山山麓に隠遁し、有名な「茶経」を書いた。
中国の禅寺戒律と茶会礼儀が見事に融合した「径山茶宴」は10項目あまりの礼儀作法が存在し、中国禅茶文化の手本とみなされている。 (翻訳 孫義)
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