――美少女イラストに触れたキッカケは?

カントクさん:高校1年ぐらい。でも、それ以前にもちょっとだけ興味があったかも。アニメの作品から興味を持ち始めました。入った高校が工業高校で、オタクの巣窟でした(笑)。休み時間に美少女ゲームに触れる機会がたくさんありました。

中学生のときは、描いていないのですが、小学校のころは、絵が得意な方で、よく描いていました。じゃ、実際に描いてみようとなったら評判が良く、調子に乗ってしまいました(笑)。それで、サークルに誘われ「ストーリーを書くから、絵は頼むね」という感じから創作活動がスタートしました。

――趣味の部分から仕事になっていった過程は?

カントクさん:最初の頃は遊びの中の一つでした。大学1、2年の頃は授業が終わってから漫画研究会に行き、絵を描くという行動でした。

――反響が感じられるようになったのは?

カントクさん:本を出して15、16冊目ぐらいからですね。100、200とかの部数を数えるようになりました。そして、20冊目ぐらいから、芽がようやく出始めた状況に。そこから30冊目に近づく頃には、仕事をたくさん頂けるようになりました。

――広がっていった要因を挙げると?

カントクさん:ホームページが大きかったかもしれないですね。ブログみたいなページ構造になっていて、最初の頃は2日に1回、イラストを公開していました。ちょっとだけ忙しくなったら3日に1回でしたが…(笑)。そういった作業を2年以上のスパンで、やり続けました。たくさん書くことで絵が上手くなっていって、ヒット数もウナギ上りになりました。イベントなどで初めて知って頂いた方も、ホームページを閲覧して下さるなど、相乗効果がありました。

ホームページの構築も自分でやりました。中学生の頃、親が購入していたパソコンがあったので、ちょくちょくイジっていました。OSのWindows95に付いている「ペイント」でも絵を描くことが好きでした。

今だったら、パソコンや携帯端末のコミュニティサービスに参加することが近道かもしれませんね。僕の時には残念ながら存在しませんでした。pixiv(ピクシブ)やTwitter(ツイッター)、mixi(ミクシィ)など、何でも構わないと思います。ホームページも大事ですが、人との係わり合いがプラスになります。