「自分が弱いという気持ちだけは、誰よりも強かった」武田幸三 拳に宿り続けるもの

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 極限まで絞り上げられた肉体は「超合筋」と呼ばれ、決して折れない闘争心と殺戮本能は「ラストサムライ」の異名に相応しいものだった。キックボクサー・武田幸三。時に鬼神の形相で対戦相手を完膚なきまでに叩き潰し、時に打ちのめされても、相手を見据えたその両の眼だけは絶対に死ななかった男。

 2009年10月、アルバート・クラウスとの壮絶な殴り合いを最後に、武田はグローブを壁にかけた。現役を退いた今だからこそ、語れることがあるのではないか。「空前の偉業」と今でも語り草になっているラジャダムナン・スタジアムでのタイトル獲得、憧れ続けたK-1のリングでの不本意な成績、際限なく巨躯化してゆくK-1ヘビー級への思い、そして大きな議論を呼んだラストファイトのストップのタイミング......武田に聞いてみたいことは、いくらでもあった。

──まずは、14年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。

武田幸三(以下、武田) ありがとうございます。

──引退試合から2カ月経ちました。今、どんな生活を送っているのでしょうか。

武田 K-1では引退式をやっていただいたんですが、来年の5月にキックのリングでも引退興行があるので、その準備をしています。

──今も身体を動かしている。

武田 そうですね、前回の試合が終わってから一週間後にはもう練習を再開していました。現役中は、たとえば腹筋ひとつやるにしても、きつくなってからどこまでできるかがその日の練習なんですね。きつくなるまでは準備運動のようなもので。でもね、一週間後に練習を再開したときに、あ、きつい、さぁがんばろう、と思っちゃった自分に爆笑してしまいました(笑)。

──引退しても、やはり変わらないですか。

武田 軽い練習をしてもおもしろくなくて、結局いまは現役中とほとんど変わらない練習をしていますよ。

──引退試合のクラウス戦では、以前から痛めていた目の負傷が心配されました。ダメージはいかがですか。

武田 こればっかりは、なかなか完治しないみたいですね。日常生活にはギリギリ支障がないくらいです。

──あの試合、ストップが遅かったのではないかと大きな騒ぎになりました。

武田 (レフェリーの)角田さんは、僕の命を守ってくれましたし、それに加えて僕の男の誇りも守ってくれました。もっと早いストップだったら、僕は燃え尽きることができなかった。すべては角田さんにお任せしていましたし、角田さんにレフェリングをお願いしたのも僕。あのストップは僕のために遅らせてくれたので、逆にご迷惑をおかけしてしまったという思いがあります。

──現役時代について伺います。武田選手のキャリアで最初のインパクトとなったのが、ムエタイの母国タイで最高の権威がある「ラジャダムナン・スタジアム」でのタイトル獲得だと思います。当時、日本人がラジャのタイトルを獲るなんて、常識外の出来事でした。

武田 タイの国技、ですからね。自分は日本でチャンピオンになって、タイへ行った。野球で言ったら、日本のプロ野球で成功した方がメジャーに挑戦なさるのと一緒で、やっぱり発祥の地に自分の腕を試しに行きたかった。でも、最初はもう、レベルの違いがすごすぎて、同じスポーツとは思えなかったです。

──そんな世界最高峰の舞台で、頂点を極めました。自己分析なさって、なぜ武田幸三という選手はチャンピオンになれたと思いますか?

武田 基本的に、格闘家の方はみなさんそうだと思うんですけど、自分のことを「弱いんじゃないか弱いんじゃないか」って思ってるんです。そのために強くなろうっていう、その気持ちが、強かったのかな。

──その後、K-1に進出されます。武田選手がもともとキックの世界に入ったのは、K-1ヘビー級のブランコ・シカティックの試合がきっかけだったとか。

武田 そうですね。第1回の93年だったかな、大学のラグビー部の寮で試合を見て、次の日には部活を辞めてジムに行っちゃいました。

──そのK-1に出ることになって、いよいよスタートという思いでしたか。

武田 いや、もうキックもムエタイもやるだけのことはやっていたので、30歳くらいで引退しようかな、と思ってたんです。でもまた新たにK-1のMAX、70kgができたので、再チャレンジできるといううれしさがありましたね。

──K-1では、思うような成績が残せませんでした。ムエタイとK-1の違いというのは、どういうところにあるのでしょうか。

武田 やることは一緒なんですけど、すごく違うんですよね。10年くらいムエタイをやってK-1に入ったんですけど、もう身体にムエタイのリズム、戦い方が染み付いちゃっていましたからね。K-1のテクニックを身体に染み込ませることに時間がかかったというか、結局できませんでした。

──リズムですか。たとえばヒジ打ちのあるなしとか、ルールの違いというのは?

武田 それもありましたし、K-1は採点基準がほとんどパンチなんですよね。ムエタイの場合は蹴りなので、その違いも大きかった。

──それは、適応しようとしたけれど、できなかったという。

武田 そう、できなかった。それにもう31でしたし、身体もだいぶ痛んでいて。

──それでも、武田選手の試合は常に、前に出て相手を倒すという意思を強く感じました。折れない心というか......。

武田 試合に来てくださる方は、その日のために時間を調整して、高いチケットを買ってくださって、僕のために時間とお金を費やしてくださるので、僕がせめてできることといえば、命を張ることしかない。アマチュアじゃない以上、リングで命を張ってお客様に満足していただくのがファイターの仕事だから、と先生に教わったので。

──それは14年間、一度もブレることがなかった。

武田 一度だけ、タイのチャンピオンとやったときにね、あまりにレベルの差を感じて、心を折られたことがあります。そのとき、初めて試合を投げました。僕は倒しにいかなかった。もう、生きているだけでうれしいっていう感覚でした。でもそれで、本当の意味で命を賭けるということが再認識できたので、それからは一度もないですね。

──K-1というイベントの存在は、武田さんにとって財産になりましたか。

武田 選手としては、やっぱり大舞台に立たせていただいたり、民放テレビに出させていただくというのは、すごくうれしいことなんです。もちろん後楽園ホールも大好きですけど、僕がキックの世界に入った頃は、ホールの椅子でお客さんが寝転がって試合を見ているような状況だった。それが、僕が格闘技をやっている間にあんな大きな舞台に立つことができたというのは、すごく幸せなことですよね。

──最初は、ヘビー級の試合に出るつもりで増量していた、というお話も聞きました。

武田 シカティックが優勝した試合がヘビー級だったので、当時60kgしかなかった体重を3カ月くらいで90kgまで増やしたんです。でもやっぱり身長もこれくらい(173cm)しかなかったですし、1カ月くらい練習したら元に戻っちゃいましたね。

──K-1ヘビー級も、当時はシカティックやアーネスト・ホースト、ピーター・アーツなどがしのぎを削り、競技性の高いものでした。それが一時期、曙やボブ・サップが参戦して様変わりしたように感じたのですが、あの時期の流れをどのように見ていましたか。

武田 ちょっと視点が違っちゃってたんですよね。ヘビー級の場合は、モンスター的というか、デカければいいんだっていうふうになって、それで中量級のMAXと人気が逆転した。でも今は、また戻りましたよね。(今年の)12月のヘビー級の試合は、みんな本当にいいファイトをして、身体も仕上げてきていました。そういう点では、中量級との相乗効果でよくなっていると思います。やっぱり、本気。本気なんですよね。練習を死ぬほどやって出てくる人間の気持ち、ハートを全面に出してお互いがぶつかるからこそ、見ている方にも何かを伝えることができるんだと思います。

──その中量級でも、武田選手に続いて魔裟斗選手も引退を表明しています。時代がひと回りすることになりますが。

武田 魔裟斗くんの存在は大きいでしょうね。僕も彼と同じ時代に生まれて、格闘技をやってきたことはすごく幸せだと思っています。大晦日には応援に行くつもりですよ。今後は僕たちが格闘技界の裏方になって選手を育てて、少しでも日本を盛り上げていきたいと思っています。

──今日は映画『マッハ!弐』のイベントということで、お笑い芸人のペナルティさんと共演なさっているところを拝見しました。やはり、すごく解放されているのかな、という印象を受けたのですが。

武田 そうですね、常にやっぱり、心のどっかに緊張感というか、死の恐怖がずっと背中にありましたから。それがなくなったので......でも、ちょっと淋しいですけどね。

──今後、テレビのバラエティーなどには興味はありますか。

武田 まぁ、呼んでいただければなんでもしますけれども、ファンの方が許してくれるかどうか......。本当は僕もね、リングを離れればただの36歳のおじさんなんですけれども、リングのイメージが強いのか、普通にしゃべるだけでけっこう驚かれますよね(笑)。

──はい、正直びっくりしました(笑)。

武田 すいません(笑)。

──でも、みんな「武田は怖い」と思っているでしょうから、テレビでニコニコしながらタレントを蹴っていたら、喜ぶファンも少なくないと思います。

武田 よろしくお願いします、本当に、なんでもやりますよ(笑)。

──では、最後になりますけれど、14年間武田さんを応援し続けてきたファンの方へメッセージをお願いします。

武田 うーん、なんだろうな。14年間も本当に、こんな自分みたいな格闘家を応援してくれて......僕の座右の銘が以前は「感謝」だったんですけど、今は「報恩」、恩に報いるという。これからはファンの方に何か恩返しができればいいな、と思っています。あとは、この間の試合は本当に死にそうだったので、今はすごくホッとしていますよ、と伝えたいですね(笑)。
(取材・文=編集部)


●たけだ・こうぞう
1972年、東京都生まれ。95年、新日本キックボクシング協会でデビュー。01年、ラジャダムナン・スタジアムウェルター級王座獲得。03年よりK-1 MAXに参戦。強烈なローキックと右ストレート、愚直に前に出続けるファイトスタイルで人気を博す。09年、現役引退。

●『マッハ!弐』
監督・原案:トニー・ジャー、パンナー・リットグライ/出演:トニー・ジャー、ソーラポン・チャートリー、ダン・チューポン、ペットターイ・ウォンカムラオ
2008年/タイ/98分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/原題:「ONG-BAK2」/字幕翻訳:風間綾平/配給:クロックワークス
1月9日(土)より、シネマスクエアとうきゅう他にて全国ロードショー!
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