【京都発】二人の陶芸家、河井寛次郎と近藤悠三の言葉から平成ビジネスパーソンへのメッセージを抽出する

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私は地方出張の折には、たいてい滞在を伸ばして社会見学をすることにしています。
今回は京都出張ですが、名刹紅葉観光もそこそこに、
かねてから訪ねたかった二人の陶芸家の記念館に足を運びました。

二人の陶芸家とは、河井寛次郎(1890-1966)と近藤悠三(1902-1985)。
どちらも日本の陶芸界に多大な影響を与えた巨星です。

まず河井の言葉を紹介します。(以下、河井の言葉は『火の誓い』より)

・「焼けてかたまれ 火の願い」
・「もうもうと煙吐いてる 火の祈祷」
・「真白に溶けてる 火の祈念」
・「撫でてかためている 火の手」
・「焚いている人が 燃えている火」
・「祈らない 祈り 仕事は祈り」
・「何ものも清めて返す火の誓い」

これら短い詩文の中に散りばめられた“祈り”だとか “誓い” だとかいう語彙。
これらの語彙が河井寛次郎の内から湧出したことは、
なにも、河井だけに限定されたこと、陶芸家だけに限定されたことではありません。

私は、たとえサラリーマンであっても、
自分の任され仕事と真剣に向き合い、それを自分なりに咀嚼し、
天職(あるいは夢・志、使命といったもの)にまで昇華させていけば、
誓いや祈りという語彙が、やがて自分の身から湧き出してくるものだと確信しています。

逆に言うと、
目の前の仕事を高いレベルで自分のものにし、そこに何らかの悟りをもった人であれば、
上の言葉は深い味わいをもって読めることができるでしょう。

私は2年前に刊行した自著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』の中で
「真剣な仕事は“祈り”に通じる」
「真によい仕事をしたときは、必然的に哲学的・宗教的な経験をしてしまうものだ」
と書きましたが、
こうした河井の言葉は、仕事と「祈り・誓い」の結び付きを明確に示してくれるもので、

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