【1980年代ラジオ伝説】第十六回 「まだまだ続くよ お笑い怪獣明石家さんま伝説」
1981年10月にスタートした「オレたちひょうきん族」でゴールデンタイムのレギュラーの座を射止めた明石家さんま
それから28年間、休むことなくブラウン管で喋り続け「お笑い怪獣」の異名をもつ男である。
54歳には全く見えないが、だからといっていまだに「ヤングタウン」で喋り続けているというのはどうなんだろうとも思う。
同じ「ひょうきん族」でブレイクしたビートたけしも島田紳助もラジオで多くの伝説を作ったが、90年代に入りラジオのレギュラー番組は持っていない。なのにさんまは「ヤングタウン」で喋り続ける。
1976年からというから、32年間「ヤングタウン」をしている。これはすごいことだ。
ある日の放送で「今でもヤングタウンで喋ってるって言ったら知り合いに驚かれた」とさんまがラジオで話していた。そしてこうも付け加える。「さんまが今でもヤングタウンで喋ってるって言うのは、北の海が現役で相撲とってるようなもんだ」。
アスリートは頭で思い描いた動きができない時、若い頃できたプレーができなくなると「引退」を考えるという。「ヤングタウン」でのさんまは、10年前や20年前と全く変わらずマイクの前で喋り続ける。それは「若いものには負けへんでぇ」と気合を入れるまでも無く「さんまさんにはかなわないわ」と若手が白旗を上げてしまうほど、50を過ぎた今でもパーソナリティさんまの実力は健在である。

そんなさんまの1980年代の話を。
1983年から5年間、ニッポン放送で「明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送」という番組を担当していた。
番組では女性リスナーと電話を繋ぎ、下着の色やエッチな告白などをしてもらった後、エコー付きで喘ぎ声を出すという、深夜放送ならではのお色気コーナーがあった。
しかしお色気番組の元祖・笑福亭鶴光がやるとどぎついエロになるが、さんまがやるとエッチトークの合間にボケやツッコミを混ぜることでちっともイヤラしく感じない。ちなみに「セックス」のことを「エッチ」と呼ぶことでテレビやラジオで自然にエッチトークを始めたのはさんまが初めてである。

テレビでも福原愛や小倉優子などを泣かせた前科のあるさんまだが、ラジオでも生放送中に数々の女性を泣かせてきた。
印象的だったのは「ぶんぶん・・・」のアシスタント古沢みづき。さんまの求めたノリツッコミをできなかった古沢をさんまが恫喝。その後しばらくの沈黙の後、古沢みづきの鼻を啜る音だけを電波が拾う。テレビと違い画像で誤魔かせない分、リアルな放送だったと記憶している。

この先明石家さんまは、いつまで「ヤングタウン」をやり続けるのだろうか?もうこうなったら70でも80でも、入れ歯になってまともに喋れなくなったとしても「ャーングタゥン」という、老人さんまの雄たけびをラジオの中から聴いてみたい気がする。

(Written by みぞてたかし)

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