再デビューから駆け上がった異色ボクサー・大久保雅史に迫る

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 フライ級は内藤大助や亀田興毅だけじゃない。OPBF東洋太平洋フライ級王者の大久保雅史(青木)は現在WBCランキング8位。世界チャンピオンにあと一歩まできている。一度引退してから再デビューし、王者にまで上り詰めた“異色ボクサー”の素顔に迫った。



 大久保は、最初のプロボクサー生活をわずか2戦で終えている。

 高校の友人と一緒に将来の世界チャンピオンを夢見ながら始めたものの「負けて限界を知ったんです。やる気がなくなりましたね。プロの壁を実感し甘くないなって感じました」。

 見切りをつけて、第2の人生を歩みだすはずだった。

 コンビニ、ファストフード、パチンコ店…と職を転々、その間はアルバイト生活の日々。だが、一度も正社員にならなかったのは「ボクシングに戻りたい」というモヤモヤが心の奥底に潜んでいたからだ。

 当初は半年か1年後に復帰する予定だったが、タイミングを逃し、復帰するまでに6年の歳月を要した。

 そして結局、恥をしのんで再び同じジムの門をたたくことにした。「復帰した後はボクシング一本で真剣にやれたので。(一度目は)半分遊びみたいな感じでやってたんじゃないでしょうか。二度目は覚悟を決めてやろうと思ったんで、中途半端にやろうとは思ってなかったです。歳を重ねるとできなくなってしまうし」



 再起後、東日本準決勝で敗退してしまうが、復帰した時からコンビを組む有吉将之氏(現青木ジム会長)の後を追って移籍。それまでライトフライ級だったがフライ級へと階級を上げた。

 その後は連勝街道を突き進み、相次いで東洋太平洋ランカーを撃破。日本ランキングには入らず、いつの間にかOPBFタイトル挑戦までこぎつけた。ここで、さらなる追い風が大久保に吹いた。チャンピオンの長縄正春(当時)が病気のため引退し、ベルトを返上したのだ。

 2008年4月14日、同級4位の鄭眞碕との王座決定戦に勝利し、念願の初タイトルを獲得した。史上初の日本ランキングに入らぬまま同王者となった。

 「王座決定戦は12Rでそれまで、8Rを1回しか経験してなかったんで、とてつもなく長く感じました。『まだ終わんねーのか』って。それでも、知らない間にチャンピオンになっちゃいましたね。でも、有吉さんが一緒にやってくれたんで、しっかりと話を聞いて、二人三脚でずっとやってきたんで」一度挫折を味わった男がたしかに頂点まで上り詰めた瞬間だった。

 現在は、ボクサーとして活動を続けながら、練習生を指導するという“ボクシング漬け”の生活を送っている。

 「練習生の悪いところを見つけると自分にも当てはまったり、会長に言われていることが分かったり、人を見ることで自分を見ているみたいな感覚ですね」とレベルアップに余念がない。

 当面の目標は、4度目の防衛戦。同級1位のロッキー・フェンテスとの指名試合を年内にも予定している。

 その一方で、現在WBC世界フライ級8位にランクイン。世界はそこまで迫っている。フライ級といえば、11月29日に内藤大助と亀田興毅のタイトルマッチが実現するなど、日本人の強豪がひしめく激戦区。それでも「チャンスが多いんで、チャンスを見ながらやっている状態です。自分の実力もつけつつ、チャンスがくれば、それを逃すつもりはないです」と目をギラリ。

 虎視眈々(たんたん)とその機会をうかがっている。

 有吉会長も思いは同じ。「37年ぶりの王者なんで大切に思っています。まずはOPBFの防衛戦に集中していかないと足元すくわれちゃいますからね」とV4戦に全力を注ぎ込む。

 その上で「もうちょっとしっかりしてから、来年末か(11年の)年初めにできたらうれしいですね」と語ってくれた。

 「モチベーション落とさずに勝っていければ歳は気にしてないです」とは大久保。世界を狙うのに運や実力ももちろん必要ではあるが、一番大切なのは信頼を寄せ合えるパートナーなのかもしれない。恩師とともに頂点まで駆け上がっていく。



<プロフィール>

 おおくぼ・まさふみ

 1980年10月14日生まれ。28歳。独身。165センチ、56キロ。血液型B。デビュー1998年10月27日。18戦15勝(5KO)2敗1分。WBCフライ級8位。趣味・麻雀。好きな女性のタイプは目がくりっとしていて、ショートカットの女性。

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