日本の新しい街は、どこへ行っても同じ景色だ。それって、凄く気持ちが悪い。どうしてそうなるのか?消えた1,454市町村が泣いている。

仰々しい高速道路の高架が見える。田んぼのど真ん中には、大きなショッピングセンター。国道沿いに立ち並ぶ、どこの街に行っても同じブランドの店。田舎育ちの私としては、その風景ができあがる経緯を「街づくり」とは、決して呼びたくない。


平成の市町村合併は、来年の3月で完了するようだ。
自治体の財政力を強化することを目的に、1999年(平成11年)4月に3,229あった市町村の数は、2009年(平成21年)6月には1,775にまで減少した。

約10年で、1,454の市町村が日本から消えた。消えた街々や村々のプライドやステイタスは、経済合理の理屈に飲まれてしまった。


「消費」と「金儲け」が、「自己実現」や「自己表現」になってしまう。その2つの能力こそ、ヒトを評価する大きな指標になってしまったことによる弊害が、いろんなところに、生まれてる。

「何を消費するか?」が自分らしさだと錯覚すれはするほど、日本の街づくりは、マーケティング通りに計画され、画一的になっていく。


そんな街づくりで良いのか?
決してよろしくない。
消費大国としての日本は、終焉を迎えている。
「街づくり」や「教育」にも、大きなシフトチェンジする時期がやって来ている。


事務所を同じくするライターが人間国宝の陶芸家を取材したときの話を聞かせてくれた。その氏曰く「伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとにあるのは理にかなっている」と。

焼き物に限らず、建築・織物・塗り物など手業による工芸の技術は意外とデリケートなもので、油断すると途絶えたり、技術のコアな部分が抜け落ちたりする。だから、20年ごとの遷宮は伝承する時間として、とくに平均寿命の短い昔は適切であり、お伊勢さんに限らず、神社の祭祀というのは技術を保全する機能も持っていたのではないかという。 

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