昔とんぼの旅日記-ウズベキスタン編(20)
2009年07月06日06時27分 / 提供:PJ
【PJニュース 2009年7月6日】2003年10月8日。支配人氏の車で、朝八時半にブハラを出た。
彼の車はドイツとウズベキスタンの合作車とかで、当地の車としてはまあ立派な方だ。ここで走る一番のオンボロ車は旧ソ連製のもので、窓に大抵ガムテープが張ってある。車体もデコボコだ。ほかに「Tico」という車もちらほら見る。
道中は、ヒバ・ブハラ間と同様に、ほとんどが砂漠乾燥地帯だった。ただこのあたりは道沿いに細い運河が造られていて、綿花畑があちこちに散見される。そこでは、ひどい襤褸(ぼろ)衣をまとった男女の群れが強烈な日射(ひざ)しのもとで綿花を摘んでいた。炎天下だ。重労働に見える。
支配人氏によると、あれは日雇い労働者で、十時間も休みなく働かされる過酷な仕事だが、賃銀はほとんど「ただ同然」だそうだ。車の中から彼らをのほほんと見ているのが、なんだか申し訳ない気持ちになった。
彼からいろいろ話を聞いた。
ウズベキスタン平均労働者の月収は、20ドルからせいぜい30ドルそこそこ、小学校の教師でも30ドル。彼のホテルのボーイの給料は20ドルだそうだ。「家族を養うために、私もこうして休みを取って貴方(あなた)を乗せているわけです」。支配人氏の白タク商売はそういう訳だったのだ。
ヒバとブハラ間では検問が3カ所あったが、今日は2カ所。ビザの期限を確かめる程度でなにも面倒はないが、むしろ車の運転者の方が厳重に調べられる。彼らは「住民証明」のような手帳の所持を義務づけられているようで、警官はそれを丹念に調べる。カリモフ独裁体制のあらわれのひとつだろう。
支配人氏に聞いたらウズベキスタンの政情はいまこんな風だという。
「旧ソ連下の自治州時代、第一書記はウズベク人のなかから選ばれたが、実際の実権を握っていたのはソ連中央から派遣されてくる第二書記だった。ウズベク人の官僚はソ連中央の言いなり、その一方で甘い汁を吸っていた。だから、ペレストロイカで独立気運が高まった時も、官僚たちは独立よりもソ連支配の維持を望んだ。独立後、高級官僚だったカリモフが大統領となった。彼は政治から経済に至るまであらゆる分野を身内と取り巻きで固めている。その独裁体制に国民はみんな不満を持っているが、今のところ、私たちは為(な)すすべがない」
そう言って彼は、いま検問を済ませたばかりの警官たちを指さし、「あいつらもみんなカリモフの配下です。やつらはしたい放題、勝手放題です。なにかと難くせをつけては賄賂(わいろ)を要求する」。
いかにも苦々しいという口ぶりでそう言って、彼は話を締め括(くく)った。見るところ、確かにここの警官の態度は横柄だ。命令口調でふんぞりかえっている。この態度はベトナムや中国などの警官とよく似ている。政府が権力的な国家はみんなこうなるんだ。僕なんか、ベトナムで、警官のあまりの横柄さに腹を立てて言い合いをしたら警察署まで連行されてしまった。
ホーチミン市でのことだ。
チャイナタウン中国人街まで乗せてくれた若い運転手が、車を停(と)めたとたん、走ってきた警官に怒鳴られた。どうやら彼は、外国人の僕のためにと停車禁止の場所へ車を停めてしまったらしい。彼のために弁明を試みたが警官は耳を貸さない。おとなしく謝っているのに、とうとうそいつは彼の肩までこづき出した。僕はカメラを取り出して、その場面をパチリと写した。警官の怒るまいことか、「そのフィルムをよこせ!」と大声で怒鳴った。僕は断固、拒否した。とうとう揉(も)み合いになって、その揚げ句、警察署まで連れていかれてしまった。
警官の車に乗せられる時、その若い運転手が泣き顔でこちらを見たから、僕は彼に早く逃げちまえと合図した。
警察では署長と話をした。僕が「あんたたち、あの場面をカメラに撮られては困るからでしょ? 撮られて恥ずかしいと思うのなら、そんなことしなけりゃあいい。悪いがフィルムは渡さない」。?生命に代えても?、そこまでは言わなかったが、結構な剣幕(けんまく)でまくし立てたら、さすが署長だ、無罪放免にしてくれた。公務執行妨害かなんかで、2-3日ぶっこまれるかなと覚悟していた。よかったァ。
筆が横道に外れたが、ここの住民は警官の従順で言いなり、長いものには巻かれよの態度がありありと見える。統制権力国家、恐るべしだ。
シャフリサブズに近づいたら、ぐんと緑が多くなった。はやここでは初秋か、木々が色づき始めている。前方に高い山群が見えてきた。
「サマルカンドは、あの山を越えて行くのです」と、支配人氏が言った。「大唐西域記」によれば、玄奘もサマルカンドとシャフリサブズの間を歩いている。彼もあの山越えをしたのだろうか? 支配人氏に聞いたら、「そうです。あの山は玄奘が歩った道です」と言った。僕も玄奘と同じ道を越えるのだ! これは思わぬ拾い物、嬉(うれ)しくなった。
町へ入った。ポプラ並木の連なる落ち着いた通りを走り、とある町角で車が停った。そこに二人の男が僕らを待っていた。支配人氏が二人を紹介する。
「こちら、貴方が今夜泊まるホテルの主人です」、がっしりした大柄のお年寄り。
「こちら、サマルカンドへ貴方が行かれるのをお世話する人です」、痩(や)せている小柄な中年。
「お二人とも私の親友です」
えっ、僕はそういうことをあんたに頼んだ覚えねぇぞ! そう思ったが、まあいい、「よきに計らえ」だ。
どうでもいいことなら、旅での僕はその土地の人の意向をなるべく受け入れることにしている。この場合も支配人氏の好意だろうし、また仮に、お互い持ちつ持たれつの助け合いだとしても、それはそれでまた結構な話だ。「よきに計らえ」。
僕は3人に向かって、「ちょうど、御飯時です。御一緒にランチをいかが?」と誘った。みんなで繁華街のレストランへ行った。なかなか良い店で、半オープンの二階の部屋から町を見渡せる。
まずはビールで乾杯。僕はコカコーラ。
3人は、席に着くや互いにウズベク語でしゃべり出した。
「元気だったかい?」「ウン、僕はねぇ・・・・」、そんな調子で久闊(きゅうかつ)を叙し、お互いの近況を話し合っている。その間、お2人をしげしげと観察する。
お年寄りは朴訥(ぼくとつ)で、人が良さそう。中年は精悍(せいかん)な顔だが眞面目で礼儀正しい。3人とも穏やか口調で会話を交わしていて、やさしい人たちに見える。安心した。
次はこの町の観察だ。小さな町だが落ち着いている。通りに車が少ない。地元の人がゆったりした足取りで歩っている。観光客らしい人影はない。木々が多い。山が見える。こりゃァ、いい町だ。
たちまちまた予定を変更した。ここは1泊ではなく、断然、2泊にする!
この日の4人のランチ代金は9ドルなり。なんという安さ! 食事のあと、お年寄り親友さんの宿へ案内されることになったが、車は町の中心部からどんどん離れていってしまう。おやおやと思っていたら、着いた所は、貧しい土壁民家に囲まれた中型の民宿だった。1泊2食付きで10ドルだという。
この値段、現金の乏しい僕にとってはかなり魅力的だったが、いかんせん、いかにもここは地の利が悪すぎる。夜はきっと眞暗闇、散歩にも出られまい。悪いがお断りすることにした。
「悪いなァ」と思うから、モゴモゴ断る理由を口ごもっていたら、助かった、お年寄り親友さんがいともあっさりと、しかも、やさしい口調で、「お断りはノー・ブロブレン(何の問題もありませんよ)」と言ってくれた。キャンセル料は? とーんでもない。一斉に3人が手を横に振った。
中年親友さんが、どんなホテルがお望みでしょう? と聞く。「町の中心部、できましたらチムール廟の近く」と答えた。そこで案内されたのが、いまこれを書いているホテルだ。なんのことはない、このホテルはさっきのレストランの2軒先だった。
三ツ星。看板に「オリエンタル・スター・ホテル」とある。「オリエンタルスター(東洋の星)」にしてはいささか見すぼらしいが、この町では一番大きなホテルらしい。1泊25ドル。カードは使えない。なによりベットが清潔なのがいい。
実は、何にかぶれたか、ヒバの宿で両下肢にたくさんの赤い発疹(ほっしん)が出て痒(かゆ)くてたまらない。あのど派手な花柄ぶとんがいけなかったかな? 毎晩、副腎皮質ホルモンの軟膏(なんこう)を塗りつづけ、いまやっと治りかけてきたところだ。ベットは清潔でないとヤバイのだ!
中年親友さんはフロント氏に向かって、「この人はVIPなんだから、気をつけて。粗相がないように」なんて訓示を垂れている。「この印籠(いんろう)、目に入らぬか!」ってな調子だ。ハハアとボーイがお辞儀をした。
宿がきまり、支配人運転手さんは「さよならハイル」と言ってブハラへ戻っていった。中年親友さんも、「なにかありましたら、すぐ私にお電話を」と言って、電話番号を書いた紙を渡して戻っていった。
さあ、やっと一人になった。
早速外へとび出して大通りを歩いた。バザールを左に見てその先を少し行ったら、見事なブルー青のドームを持つ建物が見えた。道行く学生さんに尋ねたら、「あれはモハメッドの子孫の墓、ダール・ウッ・ティーラワットと言います」と教えてくれた。廟(びょう)だったのだ。
門前に大樹の並木がある。その木陰に小さな机を置いて、小柄なお婆(ばあ)ちゃんが洗面器に西瓜(すいか)の種を入れて売っていた。姿に風情があったので、その人を入れた廟の風景を立ったままスケッチし始めた。描くことしばし、そうしたらお婆ちゃんが僕を見つけて、小走りにこっちへやってきた。こわばった顔だ。いけねぇっ、叱(しか)られる!と思った。【つづく】
彼の車はドイツとウズベキスタンの合作車とかで、当地の車としてはまあ立派な方だ。ここで走る一番のオンボロ車は旧ソ連製のもので、窓に大抵ガムテープが張ってある。車体もデコボコだ。ほかに「Tico」という車もちらほら見る。
道中は、ヒバ・ブハラ間と同様に、ほとんどが砂漠乾燥地帯だった。ただこのあたりは道沿いに細い運河が造られていて、綿花畑があちこちに散見される。そこでは、ひどい襤褸(ぼろ)衣をまとった男女の群れが強烈な日射(ひざ)しのもとで綿花を摘んでいた。炎天下だ。重労働に見える。
支配人氏によると、あれは日雇い労働者で、十時間も休みなく働かされる過酷な仕事だが、賃銀はほとんど「ただ同然」だそうだ。車の中から彼らをのほほんと見ているのが、なんだか申し訳ない気持ちになった。
彼からいろいろ話を聞いた。
ウズベキスタン平均労働者の月収は、20ドルからせいぜい30ドルそこそこ、小学校の教師でも30ドル。彼のホテルのボーイの給料は20ドルだそうだ。「家族を養うために、私もこうして休みを取って貴方(あなた)を乗せているわけです」。支配人氏の白タク商売はそういう訳だったのだ。
ヒバとブハラ間では検問が3カ所あったが、今日は2カ所。ビザの期限を確かめる程度でなにも面倒はないが、むしろ車の運転者の方が厳重に調べられる。彼らは「住民証明」のような手帳の所持を義務づけられているようで、警官はそれを丹念に調べる。カリモフ独裁体制のあらわれのひとつだろう。
支配人氏に聞いたらウズベキスタンの政情はいまこんな風だという。
「旧ソ連下の自治州時代、第一書記はウズベク人のなかから選ばれたが、実際の実権を握っていたのはソ連中央から派遣されてくる第二書記だった。ウズベク人の官僚はソ連中央の言いなり、その一方で甘い汁を吸っていた。だから、ペレストロイカで独立気運が高まった時も、官僚たちは独立よりもソ連支配の維持を望んだ。独立後、高級官僚だったカリモフが大統領となった。彼は政治から経済に至るまであらゆる分野を身内と取り巻きで固めている。その独裁体制に国民はみんな不満を持っているが、今のところ、私たちは為(な)すすべがない」
そう言って彼は、いま検問を済ませたばかりの警官たちを指さし、「あいつらもみんなカリモフの配下です。やつらはしたい放題、勝手放題です。なにかと難くせをつけては賄賂(わいろ)を要求する」。
いかにも苦々しいという口ぶりでそう言って、彼は話を締め括(くく)った。見るところ、確かにここの警官の態度は横柄だ。命令口調でふんぞりかえっている。この態度はベトナムや中国などの警官とよく似ている。政府が権力的な国家はみんなこうなるんだ。僕なんか、ベトナムで、警官のあまりの横柄さに腹を立てて言い合いをしたら警察署まで連行されてしまった。
ホーチミン市でのことだ。
チャイナタウン中国人街まで乗せてくれた若い運転手が、車を停(と)めたとたん、走ってきた警官に怒鳴られた。どうやら彼は、外国人の僕のためにと停車禁止の場所へ車を停めてしまったらしい。彼のために弁明を試みたが警官は耳を貸さない。おとなしく謝っているのに、とうとうそいつは彼の肩までこづき出した。僕はカメラを取り出して、その場面をパチリと写した。警官の怒るまいことか、「そのフィルムをよこせ!」と大声で怒鳴った。僕は断固、拒否した。とうとう揉(も)み合いになって、その揚げ句、警察署まで連れていかれてしまった。
警官の車に乗せられる時、その若い運転手が泣き顔でこちらを見たから、僕は彼に早く逃げちまえと合図した。
警察では署長と話をした。僕が「あんたたち、あの場面をカメラに撮られては困るからでしょ? 撮られて恥ずかしいと思うのなら、そんなことしなけりゃあいい。悪いがフィルムは渡さない」。?生命に代えても?、そこまでは言わなかったが、結構な剣幕(けんまく)でまくし立てたら、さすが署長だ、無罪放免にしてくれた。公務執行妨害かなんかで、2-3日ぶっこまれるかなと覚悟していた。よかったァ。
筆が横道に外れたが、ここの住民は警官の従順で言いなり、長いものには巻かれよの態度がありありと見える。統制権力国家、恐るべしだ。
シャフリサブズに近づいたら、ぐんと緑が多くなった。はやここでは初秋か、木々が色づき始めている。前方に高い山群が見えてきた。
「サマルカンドは、あの山を越えて行くのです」と、支配人氏が言った。「大唐西域記」によれば、玄奘もサマルカンドとシャフリサブズの間を歩いている。彼もあの山越えをしたのだろうか? 支配人氏に聞いたら、「そうです。あの山は玄奘が歩った道です」と言った。僕も玄奘と同じ道を越えるのだ! これは思わぬ拾い物、嬉(うれ)しくなった。
町へ入った。ポプラ並木の連なる落ち着いた通りを走り、とある町角で車が停った。そこに二人の男が僕らを待っていた。支配人氏が二人を紹介する。
「こちら、貴方が今夜泊まるホテルの主人です」、がっしりした大柄のお年寄り。
「こちら、サマルカンドへ貴方が行かれるのをお世話する人です」、痩(や)せている小柄な中年。
「お二人とも私の親友です」
えっ、僕はそういうことをあんたに頼んだ覚えねぇぞ! そう思ったが、まあいい、「よきに計らえ」だ。
どうでもいいことなら、旅での僕はその土地の人の意向をなるべく受け入れることにしている。この場合も支配人氏の好意だろうし、また仮に、お互い持ちつ持たれつの助け合いだとしても、それはそれでまた結構な話だ。「よきに計らえ」。
僕は3人に向かって、「ちょうど、御飯時です。御一緒にランチをいかが?」と誘った。みんなで繁華街のレストランへ行った。なかなか良い店で、半オープンの二階の部屋から町を見渡せる。
まずはビールで乾杯。僕はコカコーラ。
3人は、席に着くや互いにウズベク語でしゃべり出した。
「元気だったかい?」「ウン、僕はねぇ・・・・」、そんな調子で久闊(きゅうかつ)を叙し、お互いの近況を話し合っている。その間、お2人をしげしげと観察する。
お年寄りは朴訥(ぼくとつ)で、人が良さそう。中年は精悍(せいかん)な顔だが眞面目で礼儀正しい。3人とも穏やか口調で会話を交わしていて、やさしい人たちに見える。安心した。
次はこの町の観察だ。小さな町だが落ち着いている。通りに車が少ない。地元の人がゆったりした足取りで歩っている。観光客らしい人影はない。木々が多い。山が見える。こりゃァ、いい町だ。
たちまちまた予定を変更した。ここは1泊ではなく、断然、2泊にする!
この日の4人のランチ代金は9ドルなり。なんという安さ! 食事のあと、お年寄り親友さんの宿へ案内されることになったが、車は町の中心部からどんどん離れていってしまう。おやおやと思っていたら、着いた所は、貧しい土壁民家に囲まれた中型の民宿だった。1泊2食付きで10ドルだという。
この値段、現金の乏しい僕にとってはかなり魅力的だったが、いかんせん、いかにもここは地の利が悪すぎる。夜はきっと眞暗闇、散歩にも出られまい。悪いがお断りすることにした。
「悪いなァ」と思うから、モゴモゴ断る理由を口ごもっていたら、助かった、お年寄り親友さんがいともあっさりと、しかも、やさしい口調で、「お断りはノー・ブロブレン(何の問題もありませんよ)」と言ってくれた。キャンセル料は? とーんでもない。一斉に3人が手を横に振った。
中年親友さんが、どんなホテルがお望みでしょう? と聞く。「町の中心部、できましたらチムール廟の近く」と答えた。そこで案内されたのが、いまこれを書いているホテルだ。なんのことはない、このホテルはさっきのレストランの2軒先だった。
三ツ星。看板に「オリエンタル・スター・ホテル」とある。「オリエンタルスター(東洋の星)」にしてはいささか見すぼらしいが、この町では一番大きなホテルらしい。1泊25ドル。カードは使えない。なによりベットが清潔なのがいい。
実は、何にかぶれたか、ヒバの宿で両下肢にたくさんの赤い発疹(ほっしん)が出て痒(かゆ)くてたまらない。あのど派手な花柄ぶとんがいけなかったかな? 毎晩、副腎皮質ホルモンの軟膏(なんこう)を塗りつづけ、いまやっと治りかけてきたところだ。ベットは清潔でないとヤバイのだ!
中年親友さんはフロント氏に向かって、「この人はVIPなんだから、気をつけて。粗相がないように」なんて訓示を垂れている。「この印籠(いんろう)、目に入らぬか!」ってな調子だ。ハハアとボーイがお辞儀をした。
宿がきまり、支配人運転手さんは「さよならハイル」と言ってブハラへ戻っていった。中年親友さんも、「なにかありましたら、すぐ私にお電話を」と言って、電話番号を書いた紙を渡して戻っていった。
さあ、やっと一人になった。
早速外へとび出して大通りを歩いた。バザールを左に見てその先を少し行ったら、見事なブルー青のドームを持つ建物が見えた。道行く学生さんに尋ねたら、「あれはモハメッドの子孫の墓、ダール・ウッ・ティーラワットと言います」と教えてくれた。廟(びょう)だったのだ。
門前に大樹の並木がある。その木陰に小さな机を置いて、小柄なお婆(ばあ)ちゃんが洗面器に西瓜(すいか)の種を入れて売っていた。姿に風情があったので、その人を入れた廟の風景を立ったままスケッチし始めた。描くことしばし、そうしたらお婆ちゃんが僕を見つけて、小走りにこっちへやってきた。こわばった顔だ。いけねぇっ、叱(しか)られる!と思った。【つづく】
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 石川 信義
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