資本主義自体は善でも悪でもない。一人一人が持つ「働くことの思想」によって、この経済システムは方舟にもなれば、泥船にもなる。

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前回のエントリーでまとめたように、
『暴走する資本主義』の著者ロバート・B・ライシュ氏は、
今のこの歪(いびつ)に暴走を始めた資本主義の進路コースを修正し、
世界が継続的に維持発展できるようにするためには、
一人一人が、マクロの視点で、自分たちが依って立つ経済システムを見つめなおす意識を持つことが大事だと訴える。

そして、
「消費者・投資家として私」が、際限のない欲望をうまく自制し、
よき「市民・労働者」として、よき民主主義を蘇生させるよう動くことだと主張する。
そのバランスを能動的に賢くとることができれば、
強い資本主義と活気ある民主主義を同時に享受できるとしている。

私が人財教育事業で起業したとき以来の問題意識は、
一人一人の働き手の「仕事観・働き観」をしっかりまっとうにつくることが
個々のよりよいキャリア・人生をつくることにつながる、
そしてそれは、よりよい組織・社会をつくることにつながる―――
というものです。

その点で、私はライシュ氏の主張に大いに賛同します。
とにもかくにも、
今のビジネス社会において、個々の働き手の中で、そして事業組織の中で
「働くことの思想」が脆弱化している、あるいは自問を怠っているように思います。

「働くことの思想」とは、簡単に言えば、
仕事・労働について日ごろからさまざまに思索を巡らせ、
自分なりの“解釈・答え”を持つことです。

例えば、自分は何のために働いているのか?というのはその人の根本思想です。
「3人のレンガ積み」の話で言えば、
自分にとっての“大聖堂”は何なのか、がきちんと答えられるということです。
(→“大聖堂”に関してはこちらの記事を)

また、「金儲けは目的か手段か?善か悪か?」といった問いに対して、
あなたは何と答えるでしょう?

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