個性的な女性キャラクター満載の“ツッコミ系コラム”漫画「さよなら絶望先生」。作品の魅力は、作者である久米田康治氏の魅力そのものであると私は考える。

 作品から垣間見える久米田氏の人となりは、とにかく、ひたすらに自虐的である。絶望先生の主人公「糸色望」は何事も悪い方に考えないと気がすまない性質で、常に練炭らしき物や睡眠薬と思われる物を“旅立ちセット”として鞄に詰めて持ち歩く人物であり、久米田氏の自己を投影しているかのようにも見える。

 さらに注目すべきは絶望先生コミックス巻末に掲載されている「紙ブログ」。収録されている物語の副題に沿って久米田氏がつれづれのことを書き出しているものだ。本来ならばあとがきとして機能するはずなのであろうが、プライベートでのせつない話、過去のトラウマ、被害妄想などがてんこ盛りの内容となっている。一見すると心が病んでいるとしか思えない、非常に暗いものだ。

 売れない漫画家であることのやりきれなさのようなものを前作「かってに改蔵」時代から前面に押し出してきた久米田氏。前編でも少し触れたが、女性キャラクターがたくさん登場するだけの漫画を馬鹿にしていたふしもあった。それが絶望先生ではどうしてあれほどの数の女生徒を描いているのか。

 久米田氏は、望む望まざるに関わらず“普通”の扱いを受けてこなかったのではないか。自分がどう普通でないのかがわからず、どうすれば普通になれるのかもわからない。願っても願っても手に入らない普通に焦がれるあまり、ひがみ、そねみ、そっぽを向いた。そんな屈折した道のりを経て久米田氏は、女性キャラクターを数多く出すことにより普通の真似事をしてみているのではないか。中期の太宰治を思わせる方向転換である。

 太宰は数回の自殺未遂を経て最後は玉川上水に散った。個人的には太宰のこれらの行為は最上級の冗談だったのではないかと考えている。同様に久米田氏は死にたがり発言をくり返し、講談社漫画賞少年部門受賞の際に生前葬を行った。これこそまさに最上級の冗談である。

 そして、生来ひねくれている私はこうも考える。久米田氏のネガティブな言動の数々は、ポーズではないかと。

 漫画家として作り上げた生けるキャラクター「久米田康治」。その仮面をかぶり、健康的でさわやかな好青年が微笑しながら筆を取っている、そんな画を想像せずにはいられない。その理由として考えられるのは、羞恥。恥ずかしさのあまり自虐的な発言をした経験は誰にでもあるはずだ。なにかを作り、発表するのは本当に恥ずかしい。それに耐えるために久米田氏はネガティブなふりをしているのではないだろうか。

 先述の紙ブログについても最近ではやや前向きな記述が増えてきている。方向転換のおかげですっかり“売れない漫画家”ではなくなってしまった余裕からであろうか。それに伴い自虐的な性格が少しずつ変わってきたのかもしれない。もしくは私が仮定した本来の明るい性質がにじみ出てきていることも考えられる。まったく興味が尽きない人物だ。機会さえあればなんとかお近づきになってみたいものである。

(編集部:三浦ヨーコ)


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