国民的漫画である「ドラえもん」を本気で読み、感動の涙を流したことはあるでしょうか。そこには、ドラえもんなどのSFでしか描けない愛の方程式があります。

先日、テレビ朝日でドラえもん放送30周年を記念したスペシャル番組が放映されていました。あらためて、藤子・F・不二雄氏のつくりだした世界観の大きさに感心したところです。

2月頃に、衛星放送のWOWOWで放映されていた藤子・F・不二雄氏の旧作を実写ドラマ化したシリーズでも、人間という生き物の不思議さや社会の矛盾を明確に描ききっていました。

「ドラえもん」のテーマはSF。しかし、それはサイエンス・フィクションではなく、「すこし、ふしぎ」のイニシャルです。周知のように、タイムマシンやタケコプター、どこでもドアなどの、いまだ発明されていない(?)たくさんの「ひみつ道具」が登場します。

毎回、主人公ののび太が追い込まれる状況、ジレンマは、そうしたタイムマシンやひみつ道具があるからこそのもの。

たとえば、こんなシーン。のび太をかわいがっていた優しいおばあちゃんは、のび太が小学校に通う姿を見たいと願いながらも亡くなってしまいます。おばあちゃんを喜ばせたいと思ったのび太(小学5年生)は、タイムマシンを使って自分の幼稚園時代に戻り、家でおばあちゃんと対面しようとします。

父母には不審者扱いされて追い回されるのに、おばあちゃんだけは「のび太だね、私にはわかるよ」と微笑む。このセリフで、おばあちゃんがいかにのび太を深く愛していたかがわかります。

タイムマシンなんて、ばかばかしいですか?

では、こちらの物語はどうでしょうか。ロバート・F・ヤングというSF作家の「たんぽぽ娘」という作品です。


続きはこちら