■「小さい選手=ショートパス」ではない
 日本人の特性に適したスタイルの追求は、イビチャ・オシムに限らず、半世紀前のクラマーの時代から一貫してテーマとして掲げられてきた。そして大半の指導者が、俊敏性や器用さ、あるいは規律正しい勤勉性や持続性を武器に、フィジカルや体格の差を埋めていこうと考えた。
 
 だがオシムもクラマーも、日本人が相対的に小柄であることは認識していても、決して小さな選手やショートパスに固執したわけではない。俊敏性を生かし、スピーディーな展開は志向していても、その中で状況に応じて長身選手を利用し、ダイナミックな展開は要求してきた。むしろオシムは各駅停車のパスを嫌ったし、クラマーは「チョップ、チョップ、アザーサイド」と3本目のパスではサイドチェンジを意識させた。
 
 小柄だからと、ショートパスにばかり固執すれば、必然的に展開も使えるスペースも狭まる。逆に密集を強引に突き進むなら、余計にパワフルなアタッカーが必要になる。また体格とキックの力や精度は必ずしも一致しない。何よりキックを武器に欧州で活躍した中村俊輔がそれを証明しているし、80年代にフランスの黄金の中盤を形成した160㎝台のジレスやティガナの展開はダイナミックそのものだったし、同じく160㎝台のマラドーナはスーパーキックを連発した。
 
 ところが最近の日本では、代表チームに象徴されるように、「繋ぐ」と言えば「ショートパス」だと捉えるチームばかりが目立つようになってきた。確かに「人もボールもよく動くサッカー」という表現は、オシムも使っていたが、多くの日本人監督たちが使う表現とはだいぶ意味合いが違ってしまっている。
 岡田監督は就任当初「接近、展開、連続」とテーマを掲げたが、小さな選手たちが目まぐるしくポジションを変え接近にこだわるあまり、展開が狭まり、単調になる傾向が見て取れる。コンディションの整わない豪州が、まるで動じることなく無失点で切り抜けてしまった原因でもある。
 
■接近にこだわることで、逆に不得手な展開になっている
 例えばJリーグでも、豪華な攻撃陣を揃えながら、なかなかゴールが遠い川崎の状況も似ている。開幕戦、ACL初戦と2試合続けて4−2−3−1でスタートした川崎は、1トップのチョン・テセの後方に3人のブラジル人選手を並べている。だがこのブラジルトリオが自由にポジションを入れ替わり、中へ中へと入り込むから、どうしても中央を固める相手を崩せない。
 関塚監督が2戦続けて「サイドがうまく使えない」と指摘したくらいだから相当に修正が難しいのだろうし、実際に試合中も中村憲剛が「広がれ」という要求を出しているにもかかわらず、レナチーニョもジュニーニョも内へ吸い込まれる状況は改善されなかった。
 
 一方で欧州チャンピオンズリーグに目を移せば、ワイドに揺さぶりながら、中央のスペースが開く瞬間をうかがうマンチェスター・ユナイテッド、バルセロナ、リヴァプールなどが確実に勝ちあがっている。
 
 岡田監督は「前の4人で流動的に動いて得点する」ことを想定し、ミドルレンジのパスはブレるから避けているというコメントを目にしたことがある。また4−2−3−1を採用している柏の高橋監督も2列目の並びについては「どうでもいいんですよ」と笑った。
 もちろんどんなチームでもポジションチェンジは、よくある話だ。だがたとえ選手のポジションが入れ替わっても、配置そのもののバランスは保たれる必要がある。ポジションチェンジを繰り返すことで密集状態ばかりを作り出し、その結果ショートパスしか選択肢をなくすのでは、自分で自分の首を絞めるようなものだ。
 
 ショートパスばかりで一見攻撃のスピードが上がっても、かえって相手ゴール前には人の塊が出来て、攻撃の効率性を損なう。それはむしろ日本人の特性に反しているのではないかと思う。(了)

加部究(かべ きわむ)
スポーツライター。ワールドカップは1986年大会から6大会連続して取材。近著に「大和魂のモダンサッカー」(双葉社)「忠成〜生まれ育った日本のために」(ゴマブックス)など。