永井雄一郎「浦和の背番号9からの巣立ち」
「浦和レッズマガジン3月号(2月12日発売)より」
1月7日に永井雄一郎の清水への完全移籍が発表された。このニュースに言いようのない虚無感を抱いたサポーターも少なくないだろう。ルーキーシーズンの97年リーグ開幕戦で鮮烈なデビューを飾ったこと、福田正博が背負った背番号9を継承したこと、ここぞという時に試合を決するゴールを挙げてみせることなどが、幾重にも重なって、永井は浦和にとって掛け替えのない存在となった。09年シーズン、オレンジのユニホームを着て、敵として戦うが、永井が浦和で戦った歳月はいつまでも色あせない。
浦和レッズで過ごした12年。永井雄一郎は、いつも悩みの淵にいた。彼のサッカー人生を語る際の枕ことばにもなったプロデビュー戦。横浜M(現横浜FM)の日本代表DFコンビ、井原正巳と小村徳男をドリブルで抜き去った戦慄は周囲の者だけでなく、本人も負荷を背負った。稀有な能力を有する故、その期待感はいつしかプレッシャーへと変わっていった。
独特のプレースタイルはかつてレッズを率いた歴代の指揮官たちの判断を狂わせた。最大の武器を生かすポジションを模索した結果、永井は本職のFWを任されず、トップ下やウインガーの役割を課せられることが多くなっていった。
スマートな容姿もプロサッカー選手としてはマイナスに作用した。ドリブルを仕掛けて相手にボールを奪われると決まって天を仰ぎ、サポーターからは「気力を尽くせ!」と罵声を浴びた。
チーム内ではライバルの群雄割拠の荒波にもさらされた。万年下位からの脱却、J2落ちを経験したことも遠因となり、クラブは常勝を掲げて精力的な戦力補強を敢行した。
2003年シーズン、永井は「バンディエラ」福田正博から譲り受けた背番号9を背に勇躍エースの自覚を備えたが、その立場は意欲と反比例するように暴落した。エメルソン、ワントンらの強力外国籍FWだけでなく、田中達也というニュースターの突き上げにも遭い、その存在は希薄になっていった。永井は熟慮する人物である。ここ数年、彼が満足し、成長を止めるそぶりを見たことがない。その多大で理想高き向上心が、揺らぐことなき決断へと帰結した。
浦和からの別れ。鮮烈な記憶を残し、永井は新天地へと旅立っていった。
1月7日に永井雄一郎の清水への完全移籍が発表された。このニュースに言いようのない虚無感を抱いたサポーターも少なくないだろう。ルーキーシーズンの97年リーグ開幕戦で鮮烈なデビューを飾ったこと、福田正博が背負った背番号9を継承したこと、ここぞという時に試合を決するゴールを挙げてみせることなどが、幾重にも重なって、永井は浦和にとって掛け替えのない存在となった。09年シーズン、オレンジのユニホームを着て、敵として戦うが、永井が浦和で戦った歳月はいつまでも色あせない。
浦和レッズで過ごした12年。永井雄一郎は、いつも悩みの淵にいた。彼のサッカー人生を語る際の枕ことばにもなったプロデビュー戦。横浜M(現横浜FM)の日本代表DFコンビ、井原正巳と小村徳男をドリブルで抜き去った戦慄は周囲の者だけでなく、本人も負荷を背負った。稀有な能力を有する故、その期待感はいつしかプレッシャーへと変わっていった。
独特のプレースタイルはかつてレッズを率いた歴代の指揮官たちの判断を狂わせた。最大の武器を生かすポジションを模索した結果、永井は本職のFWを任されず、トップ下やウインガーの役割を課せられることが多くなっていった。
スマートな容姿もプロサッカー選手としてはマイナスに作用した。ドリブルを仕掛けて相手にボールを奪われると決まって天を仰ぎ、サポーターからは「気力を尽くせ!」と罵声を浴びた。
チーム内ではライバルの群雄割拠の荒波にもさらされた。万年下位からの脱却、J2落ちを経験したことも遠因となり、クラブは常勝を掲げて精力的な戦力補強を敢行した。
2003年シーズン、永井は「バンディエラ」福田正博から譲り受けた背番号9を背に勇躍エースの自覚を備えたが、その立場は意欲と反比例するように暴落した。エメルソン、ワントンらの強力外国籍FWだけでなく、田中達也というニュースターの突き上げにも遭い、その存在は希薄になっていった。永井は熟慮する人物である。ここ数年、彼が満足し、成長を止めるそぶりを見たことがない。その多大で理想高き向上心が、揺らぐことなき決断へと帰結した。
浦和からの別れ。鮮烈な記憶を残し、永井は新天地へと旅立っていった。
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