技術と技術者の革命「Java」の14年史
米サン・マイクロシステムズが開発し、1995年に発表したプログラミング言語、「Java」。インターネットの普及とともにその特性が注目され、今やエンタープライズからコンシューマーまで幅広い分野で活用されるに至った14年史をつづります。

■デファクトスタンダードの地位を得たJava
  Write Once, Run Anywhere――1995年5月23日に発表された「Java」のコンセプトは、この言葉に集約される。「一度プログラミングすれば、どんなプラットフォーム上でも動作する」という意味である。Javaはプラットフォーム上にJava仮想マシン(JVM)を搭載すれば、プラットフォームに依存することなくアプリケーションを稼働させることができる。例えば、サン・マイクロシステムズ(以下、サン)のOSであるSolaris上で開発したJavaアプリケーションに手を加えなくても、マイクロソフトのWindows上で動作させることができるわけだ。このコンセプトが多くのエンジニアに受け入れられたことで、Javaはアプリケーション開発のデファクトスタンダードに成長していったのである。

 サンによると、Javaは現在、10億台の携帯電話、7億台のパソコン、12億5000万枚のスマートカード(ICカード)などに利用され、ライセンスを取得した企業は180社以上に、また95年当時30人程度だったJavaの開発者は今や450万人を超えているという。
 エンジニアの観点からみると、Javaは従来のC++言語と類似しているが、Javaがそうした従来の言語と最も異なるのは、マルチプラットフォームで動かすことを最初から考慮し、実行環境や開発環境などが仕様として存在している点にある。そしてそれらが実際に受け入れられ、多くのプラットフォームで移植性の高いプログラミングを実現していることが、高く評価されている要因となっている。

 こうした特性をもつJavaは、これまでのプログラミング言語の集大成ともいえる。ライブラリ方式、構造化、オブジェクト指向などの思想がすべて盛り込まれており、ファイルI/O、ネットワーク、 RDB、多言語、ウィンドウGUIなどがすべて言語仕様そのものに含まれているからだ。プログラミング言語仕様自体にこのような考慮がなされたものは、実はこれまでになかったのである。

■96年「JavaOne」に集ったエンジニアたちの熱い思い
 95年当時、Javaに着目したエンジニアの大半は、実はC++の開発者だった。当初のJavaは、Webブラウザにアプレット(ネットワーク上に置かれWebブラウザ上で実行できるJavaプログラム)をダウンロードして、アニメーションを動かす程度のデモしかできなかった。しかしエンジニアたちは、 JVMがプラットフォームに依存することなく実装でき、セキュリティやメモリ制御などの機能を備えていたことから、C++よりも安全で記述効率が高いと評価した。C++の欠点を克服し、オブジェクト指向の世界を広げる言語の本命はJavaだと感じたエンジニアたちは、その将来に期待を寄せるようになった。
 一方、Javaの設計者たちもその期待に応えようと奮闘し、Javaは利用者とともに進化する道を歩み始めた。サンは96年から毎年、Javaの開発者会議「JavaOne」を開催してコミュニティを形成し、エンジニアたちとJavaのロードマップや適用領域の広がりを共有することに努めた。 JavaOneの、とくに初期のころの盛り上がりようは、新しいネットワークコンピューティング時代の到来を十分に実感させるものだった。

 Javaの生みの親といわれるジェームズ・ゴスリング氏(当時サンのフェロー)は、Javaを開発した最大の理由について、96年7月のインタビューでこう語っている。
「分散コンピューティングにおけるソフトウェアの開発・実行環境を、ネットワーク上で実現したいと考えたのが発端だ。当初はC++をベースにしようとしたが、より高い移植性や信頼性、そしてどんなプラットフォームでも動く新しい言語環境が不可欠になった。Javaによって、エンジニアはすべてのプラットフォームに向けて共通したソフトウェア開発ができるようになる」