リコーのデジタルカメラを手に持つ、テラウチマサト氏
株式会社リコーは、フォトギャラリー「RING CUBE」において、写真家 テラウチマサト氏のトークショーを行った。同氏の写真展「タヒチ 海と陸、昼と夜の間」も引き続き開催中。

■無邪気な写真を撮りたい - テラウチマサト氏
編集部:「タヒチ」をテーマに選んだ理由を教えていただけますか?
テラウチ氏:すごくシンプルな質問ですが、それは難しい質問ですね(笑)。
たとえば、「なぜ、お母さんが好きなんですか?」など、理由なんてないものがあるじゃないですか。そういう感じです。けっこう撮りたいときは、理由を感じたことはないですね。

綺麗な女の人を見たときに撮りたいという気持ちは、綺麗ということはあるかもしれないけど、理由はないですね。あるとしたら、単純に撮りたかったということです。

編集部:「タヒチ 海と陸、昼と夜の間」というタイトルは、どういう思いで付けられたのでしょうか。
テラウチ氏:「タヒチ」と聞いて行ってみたいと思いません? タヒチに行ってみたら、「やがて沈んでいく島」と言われたんですよ。

今日、トークショーで話そうと思うんですけど、僕の世代は「白黒はっきりつけなさい」とか、「言いたいことはっきり言いなさい」「旗幟鮮明に言いなさい」「中途半端なことを言うな」といわれていた世代なんですけど。

僕がタヒチを見て感じたのは、海と陸の間がものすごく綺麗なブルーラグーンだったんですね。それは沈んでいく陸と飲み込もうとしている海がコラボしている、いわゆる白黒つけにくい部分の美しさだったんですよ。

「本当はそういうところにこそ、美しさがあるのではないだろうか」と思いはじめたら、たとえば冬から春の移ろいゆく季節の中に日本人は美を追い求めてきたはずだし、どこからかどこからへ移ろいでゆくものにこそ、日本的美学があったんじゃないかと思って。そうしたら夜か朝か言えない時間帯ってあるじゃないですか。ここも綺麗なんじゃないかなっていうところに引っ掛かったんですね。

これは後付の思想なんですけど、「白黒はっきり付けろ」というのは20世紀型の考えだったり西洋的な考えだったのではないかと思い始めて、むしろ違いを見つける文化ではなくて、日本人は同じところを見つける天才じゃなかったのかと思うんですよ。
写真1 インタビューにこたえる、テラウチマサト氏

たとえば、「僕は眼鏡を掛けていますけど、あなたは眼鏡を掛けていない」という違いを出すと対立しますけど、「同じ男ですよね」となれば共通点になるし、同じところを見つける文化は一見あいまいなところと似ているんじゃないかと思って。よくない意味で「玉虫色」という言い方をされますが、本当はそこに真理が隠されているのではないかと思ったんですよ。

今日、(トークショーの)冒頭に言おうと思っているんですけど、「今、あなたの見ている夕日は、よその国の朝日です」という言葉が大好きで、この観点を持っていないといい写真は撮れないと思っているんですよ。

どっちか一方的なところに正確がある訳ではなく、この場合は同じ太陽を見ながら「朝日」と「夕日」という違う観点で見ている訳ですよね。でも、本当は同じ太陽を見ているんですよ。そういう同じものを見ているという感覚が大事だと思ったとき、このあいまいな時間帯を大事にしようと思ったんです。

海でもない陸でもないブルーラグーンがタヒチの最高のエンターテイメントを作っているとしたら、それと同じように「昼と夜との間」は面白いし、(今回の写真展で)「文化ゾーン」と勝手に名付けている「人がいっぱい写っているところ」があったと思うんですけど、あれもフランス文化ともともとあったポリネシアの文化が融合しているところに面白さがある訳で、何かと何かが重ね合っている「あいまいな部分の美」みたいなものを撮りたかったんですよ。

でも、一番最初にタヒチを撮りたいなと思ったのは、行ってみたいなとか、素敵だなとか、思ったところになるんですよ。

編集部:タヒチでの撮影でとくに印象に残ったことはありますか?
テラウチ氏:まず、深夜3時の満天の星はすごいなって思った。そこから朝になっていく時間の中で、毎日このような風景は繰り広げられていたんだけど、単純に見ていなかっただけなんだなと。色が刻々と変わっていく海だったり、満月に近い月に照らされる青い海とか、そういうものの色がすごく綺麗だなというのが印象に残っています。

RING CUBEのギャラリーは内側と外側の壁が連続してドーナッツのように続いていますが、これも僕の中で区切りがないということで、今回半透明な仕切りを使ったんですけど、あれも明確に区切っている訳ではなくて、重なってくる部分の美しさというか。すべてがコンセプトと合致していると思います。
写真2 テラウチマサト氏の写真展の様子写真3 テラウチマサト氏の写真展の様子

日本の家屋で縁側というものがあるじゃないですか。外でもなくて内でもない。そういうところに日本的な美学があったんじゃないかと思うし、この間、オバマさんの演説を聞いていたら「これからはお互いの違いを指摘しあうのではなく、未来や希望という共通の目標に目を向けるべきだ」と言っていたんですよ。これは日本的な同じものを発見する能力に近いんじゃないかと思ったんですよ。

編集部:展示の仕方が面白いと思いました。
テラウチ氏:区切りはあるんですけど、明確な境界線で区切るのではなく、不連続な中に変わっていく美しさを表現したかったんです。

編集部:タヒチのシリーズとしては、今後も続けられるのでしょうか?
テラウチ氏:はい。撮っていきたいと思っています。今度は「タハァ」というバニラの島へ行きたいなと思っています。

編集部:リコーのカメラについての思い出をお聞かせいただけますか?
テラウチ氏:キュートで可愛いなと思います。デザインがすごく素敵だし、撮っていて体に馴染んでいるというか。

僕は写真に関しては無邪気でいたいんですよ。カッコイイ人よりも子供の無邪気さは魅力的ですけど、リコーのカメラはすごく無邪気な感じがするんです。

ラグビーを愛する言葉で「ラグビーは子供をもっとも大人に成長させるスポーツであり、もっとも子供心を失わないスポーツである」という言葉があって、僕もそういう気持ちはずっと持っていたいと思っていて。カッコイイ写真は割と簡単に撮れると思うんですよ。でも、飽きると思っていて。カッコイイ写真を撮っているのは、僕の中ではまだまだ本物じゃないなと思っていて、むしろカッコ良さを外した無邪気さに走ろうと思っているですけど、リコーのカメラにはそれを感じますね。

編集部:最後に写真展に足を運んでくださるかたにコメントを頂戴できますか?
テラウチ氏:RING CUBEというギャラリーはできたばかりですけど、素晴らしい場所に作っていただいたなということで、このギャラリーはぜひ見て欲しいと思います。もうひとつは、「まだまだカッコを付けている」とおっしゃる方もいますが、無邪気な写真をいっぱい見せたつもりで、それを見てくれたときに「タヒチって青い海だけじゃなかったんだ」「こんなところもタヒチだったんだ」と感じてもらったら、僕がひとりで感じたものは点ですが、誰かが感じてくれたら線になりますよね。そしてそれが大勢になったら立体になるように。

それはRING CUBEの考え方とよく似ているんですよね。点が線になって面になっていく。そういうものを感じてもらえたら良いなと思っています。

たとえば、最近はずいぶん減ってきましたが、日本といえば「冨士山」「芸者」って思う外国人がいると思うんですよ。確かに、富士山も芸者もいいけど、ほかにもっといいところがありますよね。ずっと屋久島へ入っていたころには、「縄文杉ってどうですか?」とよく聞かれて。でも、「屋久島は縄文杉だけじゃないんですけど」「もっといいところがいっぱいあるんですけど」って言いたかった気持ちと同じように「タヒチは海だけじゃない!」と言いたかった。

タヒチと言えば、青い海しかないと思っていたと。それは東京といえば東京タワーでしょ。と同じ感覚ではなかったかと、今恥じているんですよ。それを見てもらったら嬉しいなと思っています。

編集部:本日はありがとうございました。

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