ドラゴンスレイヤーは、バイクや無線に熱くなる

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WiiもPS3もXboxもなかった20年以上前、PC-8801やFM-7で動いていたPCゲームに、当時のパソコン少年たちは夢中になっていました。「ドラスレ」「ザナドゥ」「ソーサリアン」……これらを開発した伝説のプログラマは、取締役になった今でも、現役でプログラムを楽しんでいました。

■ドラスレ、ザナドゥ、ソーサリアン……俺の言うとおりに!
― 木屋さんといえば、ドラゴンスレイヤー(ドラスレ)シリーズの開発者として有名で、初代のドラスレからザナドゥ、ロマンシア、ソーサリアン、英雄伝説、風の伝説ザナドゥなど、ゲームソフトの大ヒットを連発されました。
 もう20年ほど前の話ですが、今でも熱烈なファンが多いんですよね。当時は開発プログラマであり、プロデューサーでもあったわけですか?

き 何でもですね。シナリオは若手に書かせていたのですが、どうしても出来が粗削りですから、私がセリフも含めて全部書き直していました。また、テストの段階で気に入らないところがあると機能を見直したりね。音楽などの専門的な部分以外はすべてかかわっていたかな。
 私はもともとゲーム好きなので、自分で遊びたいゲームをつくっていたんです。メンバーには、「とにかく俺の言うとおりにやれ!」みたいな感じで(笑)。

― かなり自由な開発体制ですね(笑)。開発期間はどのくらいだったのですか?

き だいたいチームが3〜4人で、制作期間は6カ月ほど、その後で移植作業がありました。対応機種はPC-8801、FM-7、X1、PC-9801などで、複数のモデルをもつ機種もありましたから、移植には手間が掛かったんです。それでも1年1タイトルのペースで新作を出していました。 

― 先日、木屋さんに取材にうかがうことを友人に話したら、「ザナドゥは子供のころスゲえやったなあ……」とノスタルジーに浸っていました。出荷本数は40万以上といわれ、現在でもこの記録を超える国産PCゲームソフトはありません。

き ザナドゥ(1985年発売)は、記録媒体がカセットテープからフロッピーディスク(FD)に変わった時期でした。FDだとランダムアクセスなので大きな容量を使えるんですね。何せ当時はCPUがZ80で8ビット4MHz、メモリが64KBの時代ですから(笑)。
 ですから、ゲームのスペックを出したら「そんなのあり得ない!」と言われました。こちらとしてはそんな反響を見込んでのコピーだったのですが。

― 木屋さんは日本ファルコム時代にドラスレシリーズを、日本アプリケーションで大逆鱗シリーズを出しておられますが、特に思い入れのある作品といったら何ですか?

き 難しいですね……プログラマとして気合が入ったのは「ソーサリアン」(1987年発売)かな。ザナドゥまでは、ゲームにルールを作って遊んでもらっていましたが、ソーサリアンでは物語性を入れてRPGとしてシナリオを考えました。そのプロトタイプが「ロマンシア」で、「ソーサリアン」へと発展させたわけです。

― プログラマと企画の関係をどう思いますか?

き プログラミングで大切なことは、やりたいこととできることのバランスだと思うんです。例えば、どんなに面白くても速度が遅いゲームではユーザーは楽しめません。その点プログラマなら、「ここの余白を削れば速度が上がる」とか「余ったリソースを使えば別の機能が作れる」などがわかります。人の書いたプログラムを見て、「ここにこだわるなら削って速度を上げればいいのに」などと思うこともありますからね。
 ですので、限られた実用範囲の中でスゴイことを企画・実現するには、プログラミングの知識が欠かせないと思います。
 企画者として思うことは、常にゲーム初心者の目線でいることです。ゲームをつくり込んでいくと、どうしてもマニアの感覚に同化していきます。しかし、ベテランユーザーへの配慮がすぎると、初心者の敷居が上がって新しいユーザーが増えず、総ユーザー数は徐々に減っていく。根っからの構えたゲーマーではなく、「ゲームでもやってみるか」といった初心者ユーザー層が増加している昨今では、ゲームの入り口をより広めるべきだと思います。

■プログラムから言語開発者の思想が見えてくる
― どのようにしてプログラミングを始めたのですか?

き 20歳くらいのときに、何となくヒマで、パピコンと呼ばれていたPC-6001を買ったんです。当時はPCでできることなど限られていましたから、ゲームでもつくるかと。しかし、現在のように書店でマニュアル本が売られているわけではなく、インターネットも当然ありません。PC本体に付属していた教則本を読みながら、まずは手探りでBASICを覚えていきました。
 一方で私はパソコンショップの常連でして、その店がアップルコンピュータ(現・アップル)の代理店をしていた日本ファルコムでした。あるとき、店長(創業者の加藤氏)につくっているゲームがあると言ったら、「売ってやるよ」と。それで1本つくるたびにモニターをもらったり、プリンタをもらったり(笑)。

― 物々交換ですか。何だか牧歌的ですね(笑)。そして日本ファルコムに入社されたと。……≫続きはこちら



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