クラッシュはよくあること
機能を網羅した高額なソフトではなく、気が利いて便利なWebアプリってありますよね。自分のブログの人気度がわかったり、ブックマークが後でメールで届いたり……は赤松洋介さんが作ったもの。穏やかな外見からは想像できませんが、昔は峠を攻める走り屋であり、今はラジコンのヘリやクルマやZゲージに夢中です。

■プログラミングとは、社会貢献である
― 赤松さんは中学生のときにパソコン雑誌のライターだったとか。

あ はい。『月刊I/O』という雑誌で「日本橋マップ」というコラムを書いていました。大阪の日本橋は東京の秋葉原のような場所ですから、お店の情報なんかを取材して地図に載せる企画です。1本3000円でしたからいいお小遣いになりましたね。

― そのころは既にプログラミングを始めていた?

あ 小学校6年生くらいにPC-8001を買ってもらって、BASICでゲームを打ち込んで遊んだりして、中学になるとアセンブラを覚えていきました。ただ、高校時代は全くパソコンには触っていないんです。再び出合ったのは大学時代の研究室で、UNIXのワークステーションでした。当時は珍しかったインターネットにつながっていましたから、夢中になって世界中の情報を集めました。知れば知るほど面白くって。

― 大学院を出て、大阪ガスの子会社のオージス総研に就職したんですね。

あ 私は大阪生まれで、実は関東嫌いだった(笑)。地元で就職したかったのと、まだ一般的でなかったオブジェクト指向を事業にしていたので希望しました。私が入社したころは海外のソフト開発企業などと取引があり、アメリカに事務所を作るという話になったんですね。だったらビザが必要だろうと、現地の大学の研究員になったら取得できるぞと、ならば行ってこいと入社2年目の私に白羽の矢が立って、1年ほどスタンフォード大学に行きました(笑)。

 昼間は大学に行って、夕方の6時から日本時間で仕事をしていました。大学ではオンライン精算の仕組みを考えたりしていましたが、同じプロジェクトにラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン(共にGoogleの創業者)もいたんです。仕事は海外ソフトのローカライズやカスタマイズなどです。

― 帰国後は、しばらくしてサイボウズに転職するんですね。

あ 転職先を探していた同僚が「面白い会社を見つけた」っていうんです。それがサイボウズだったのですが、当時は正社員が10人くらいのベンチャー企業でした。迷った時期もありますが決心して転職したら、なぜか東京に行くことになりまして(笑)。
 サイボウズではポータルサイトの開発などから入って、後に「サイボウズAG」や「サイボウズOffice6」のプロダクトマネージャーを務めました。ただ、仕事は面白くてもマネージャーという立場が続いたので、自分の手で何かを作りたくなってきました。RSSが出てきた2003年後半くらいですね。
 そんなときに百式の田口さんのイベント「忘年会議」に参加したんです。若い人が次々と自分の作品を紹介していく姿にショックを受けて、この場で発表できるようなものを開発したいと思いました。

― そうして生まれたのが「MyRSS.jp」ですね。

あ 平日は夜の11時30分〜1時30分、金曜日は徹夜と開発時間と決め、2〜3カ月かかりました。2004年1月に一般公開したのですが、全然反応がなくて泣かず飛ばず。おいおいと思いました(笑)。

― でも、次の「フィードメーター」が大ヒットします。

あ 個人ブログの人気がわかったら面白いなという発想で、1週間ほどで作りました。いつもそうなのですが、発想の基は「あったらいいな」なんです。今度は評判がよくて3日で100万アクセスがあり、レンタルサーバを追い出されました(笑)。