昭和30年代のコンピュータの大きな稼働音を聞いた

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日本を代表するコンピュータ・メーカー、富士通。その沼津工場の一角に、実働状態では“世界最古”とされるコンピュータが保存されている。「日本のコンピュータ」の源流と、その後の進化の歴史を沼津に訪ねた。

■「夜11時以降は使用禁止!」
「IT立国」やら「e-Japan構想」やらといった言葉はすでに古臭く感じられるようになってしまったが、それでも、コンピュータやネットワークの技術が、今の日本を支える基幹のひとつであることに変わりはない。誰もが身近にコンピュータを使う――というよりも、身近で使うすべてのものが、そうと気付かなくても何かしらコンピュータとつながっている、そんな今の世の中。
 俗に「世界最初のコンピュータ」と言われる「ENIAC」が米ペンシルバニア大学で完成したのは1946年。コンピュータは、そこから数えて、たかだか60年ほどの歴史しかもっていない。知識としては知っていても、改めて考えると進歩の速さに頭がくらくらしそうになる。

 そんな、コンピュータの黎明期を実際に感じることができる1台が、今もなお可動状態で保存されているのが、富士通沼津工場の池田記念室である。
 1959年製造の「FACOM128B」こそが、そのコンピュータ。Computerを、日本語では「電子計算機」と訳すのが定番だが、これはむしろ「電気計算機」――電話の交換機などに使われていた「リレー(電磁石式のスイッチ)」を使った、リレー式計算機である。
 富士通のコンピュータの生みの親、故・池田敏雄氏が初めて、自由にプログラミング可能な本格的リレー式コンピュータ「FACOM100」を完成させたのが 1953年。これはいわばプロトタイプで、その後改良を加え、初の商用機「FACOM128」になる。池田氏の名を冠したこの記念室にある「FACOM128B」は、その小改良型である。

「では、電源を入れます」

 灰色のロッカーのようなものが前後2列に並んでいるのが、いわば「筐体」。低いうなりを感じたかと思うと、その“ロッカー”の列の中から、バシャバシャバシャと、けたたましい響きが巻き起こる。無数のリレーの電極が、電磁石によってぶつかり合う音である。FACOM128Bが当初納められたのは日本大学理工学部だが、あまりの騒音に、夜11時以降の稼働は禁止されていたという。確かにうなずける音量である。

■電話交換機が“化けた”コンピュータ
 FACOM128Bの中央演算装置にあたる部分には、5000個のリレーが使われている。メモリ部分には、クロスバー方式(多数の直交する金属棒と、その交点にリレーをもち、リレーが作動すると金属棒が接続される方式)で、リレーがさらに1万3000個。

 富士通といえば今では世界でもトップクラスのコンピュータ・メーカーだが、当時の社名は「富士通信機製造」。さらにたどれば、古河電気工業と独シーメンス社(ドイツ語でジーメンス)が提携、両者の頭文字を取って設立した富士電機の電話部門が独立した会社である。

「当時、世界のコンピュータの主流は真空管式でした。しかし、富士通だけがリレー式を採用した。これはまさに電話交換機に使われたリレースイッチそのものでした。

 コンピュータの基本は1/0。電気的にon/offがわかればいい。電話設備のメーカーだけにリレーはいくらでも転がっている。『あるもので作ろう』ということと同時に、当時、世界のコンピュータの主流だった真空管式に比べ、機構的に信頼性が高い部分もある。真空管は寿命があるし、それ以前に、気を付けて使わないとすぐに切れてしまいます。リレー式も接触不良による故障はありますが、メンテナンスとして、手でグイグイと電極を曲げて直せたりする(笑)。それが、リレー式を選んだ理由だったのでしょう。