「亀田いないほうがいい」竹原慎二ロングインタビュー

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 95年12月、ボクシングの殿堂と呼ばれて久しい東京・水道橋の後楽園ホールで未曾有の事件が起こった。日本人ボクサーによる世界ミドル級タイトル奪取。それは日本のボクシング界にとって、酒の席で吹聴するのも躊躇われるほどの"夢物語"だった。

 あれから13年。その夜、リングの主役だったヒーローに会いに行った。竹原慎二は現役時代の眼光の鋭さそのままに186センチの長躯を折り曲げて、携帯電話をいじっていた。

──タイトル獲得から13年経ちます。今振り返って、すごいことをしたという実感はありますか?

「特にないですよ(笑)」

──え、ないんですか?

「ないない。全然ない」

──ミドル級チャンピオンですよ?

「みんな結局、そういうもんでしょう。例えば石川遼だって、今すごいけど、本人は別に当たり前のことをやってると思ってますよ」

 平然と、まるで「昨日、犬を散歩させました」とでも話すときのように、竹原はその夜のことを振り返って見せた。弱冠23歳での戴冠。彼にとってその成功は、深く思いを巡らせるにはあまりに早すぎたということだろうか。

「自分的には、思い描いていたよりは遅かったけどね。もう一年早く、22歳くらいでという思いはあったけど、結局タイミングもよかったんですね。その後のことを考えたら、もうちょい遅いほうがよかったかもしれないけど、それはわからないですね」

 無敗で世界チャンピオンになった竹原は、そのタイトルの初防衛戦でアメリカの強豪W・ジョッピーに敗れると、左目の網膜剥離が発覚し、引退を余儀なくされる。

「一度負けたらね、すべてにおいて余裕ができるんですよ。そりゃ、負けたから、まだやりたいという気持ちはあったけど、キリがないからね。右目まで網膜剥離になったら、俺、生きていけないと思うよ」

 現在でも眼疾を患った左目は、メガネをかけてもぼやける状態だという。引退直後、彼は「竹原慎二・芸能界で仕事がしたいっ!」と銘打って大々的な記者会見を開いた。

「懐かしいな。だけど、仕事はまったくなかった。その間はね、つらいですよ。苦しいです。何をやってもうまくいかないし、チャンピオンになんてなるんじゃなかったと思ったこともある。それで荒れた時期もあったけど、これじゃダメだと思って日焼けサロンでバイトを始めたんです。それで一年くらい働いたころ、テレビの仕事の話が来た。自分としては、やっぱりがんばれば運が向いてくるんだな、神様は見てるな、と思いましたよ」

 TBSバラエティ『ガチンコ!』の「ボクシング予備校」コーナーは、竹原慎二の名を全国のお茶の間に知らしめることになった。現役時代とはかけ離れたイメージでサービス精神を最大限発揮する竹原の姿に、違和感を覚える古いボクシングファンも少なくなかったと記憶しているが......。

「確かに、ホールの客層が変わったとか、嫌味を言われたりすることもあったけど、練習生も増えたっていうし、ボクシング界にとっても、いいことだなって思いますよ。もちろん俺にとっては、あれで世間の人が俺のことを知ってくれて、今があるわけで」

 その後、竹原は徐々にテレビでの露出を増やし、タレントとして活動の幅を広げてゆく。09年1月には、初の主演を務めるVシネマ『溝鼠vs毒蟲』が発売になる。

「やっぱり、絶対に一度は主役を張りたいと思っていたから。この話が来たときは、いい作品にしようと思いましたよ。まだまだヘタで、周りの(俳優の)先輩方がカバーしてくれるので、それに恥じないように、なるべく足を引っ張らないように、必死ですよ」

 新堂冬樹の原作ノワールは一部読者から「有害図書だ」との意見が出るほどエキセントリックな作品。竹原が演じるのは、"復讐代行業"を営む鷹場という役柄だ。鷹場の敵役となる"別れさせ屋"の大黒には、こちらも元ボクシング世界王者の畑山隆則が配役された。