g新部裕@Linux Kernelは、穴を掘る!

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Linux(GNU/Linux)のカーネル開発にクレジットされた唯一の日本人、新部裕さん。彼の活動は多彩です。リチャード・ストールマン氏の「GNUプロジェクト」への参加、IPAやGoogle Summer of Codeでの若手プログラマ育成、もちろん本業の研究職も……しかしその正体は「穴掘り人」だったのです。

■Linuxを知ったのはリチャード・ストールマン氏のセミナー
― いきなりですが、なぜ「g新部」なんですか?

g いろいろと説はあるのですが、「g新(New)」で「GNU」なんです。名乗り始めた1991年当時はフリーソフトウェアが一般的でなく、出自の不明なソフトだという懐疑的な意見も多かったんですよ。だったら負けられないと、ログインネーム変えたれと、俺は今日からGNUの「g新部」だと。これが発端ですね。
 ちなみに「グニューベ」で「GNUな人々」だと主張しているのですが、広まらなくて、十何年たってもグニューベは僕だけです(笑)。

― GNUプロジェクトは、前回の記事で取材したリチャード・ストールマン(RMS)氏が始めたフリーソフトウェア推進活動で、g新部さんもフリーソフトウェアイニシアティブ(FSIJ)の理事長です。そもそもGNUと出合ったのはいつごろですか?

g 大学時代はUNIXのワークステーションが普及した時期で、僕もGNUのテキストエディタ「Emacs」でUNIXを勉強したクチです。ハッカー文化が徐々に衰退して、プロプライエタリな(所有権のある)ソフトウェアビジネスが勃興してきたころでしょうか。そんな中で出合ったのがGNUです。技術的な先進性を感じましたし、しかもコードを自由にいじれるなんて、「すげえ!」と思いましたよ。
 RMSはずっと社会運動としてフリーソフトウェアの活動を続けてきましたが、僕は最初は技術としてGNUに魅力を感じていたんです。ただ最近では、GNUプロジェクトを継続的な推進活動にすることも重要だと実感しています。

― g新部さんは、Linuxのカーネル開発にクレジットされた唯一の日本人として知られます。1993年に開発したパラレルポート間ネットワークのドライバが採用され、1999年にはSuperH環境への移植に成功しています。開発のきっかけは何ですか?

g Linux の開発にかかわるのは社会人になってからです。1992年にGNUのセミナーでRMSが来日して、「GNUプロジェクトにLinuxは必ずしも有用ではない」という話をしたんです。当時のLinuxはPCしかサポートしておらず、GNUはもっと広範だという意味でしたが、初めてLinuxを知った僕は興味をもちました。そこで、アメリカのボランティアの学生に頼んで、手間賃の10ドルか20ドルを払い、コードをフロッピーで郵送してもらったんです。 40〜50枚くらいあったかな。
 これをパソコンにインストールしたんだけど、なかなか動かない。それでちょこちょこ直していって、結果的にカーネルに採用されたという経緯です。ただ、当時はリーナス(・トーバルズ氏)が大学生だった初期の時代ですからね。昔と今とではその価値を単純に比較できないと思います。……≫続きはこちら

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