1993年に世界で初めて白色有機ELの開発に成功した城戸淳二氏。研究成果は「サイエンス」に掲載されるなど注目を集め、その後の製品化の道を切り開いた。大型化、多方面への応用なども提唱した有機ELの権威として、世界の研究者から知られる人物だ。

■名前が城戸君なんだから、テーマは希土類にしたら
 実家はプラスチック成形工場を営んでいました。子どもの頃からモノづくりの現場を見ていましたし、プラモデルやら図画工作やら大好きでしたね。それで漠然と理系の方向に進むんやろな、と思っていました。どちらかというと建築とか、機械とか、目に見えるモノを作ることに興味があったんです。そうなんです。今の化学とは、まったく正反対なんです(笑)。

 実は早稲田は2度目の大学でして。最初の大学では、機械工学を専攻していました。子どものころは勉強が嫌いでして。そもそも、人に何かをやらされるのが嫌いだったんです(笑)。自分でやろうと思っていても、人にやれと言われたらやらない。言われると、逆の方向に行きたくなってしまう。そんな性格(笑)。それで受験勉強なんてほとんどせずに入れる大学に入ってしまったんです。

 ところが、本当にこれでいいのか、と思うようになりました。自分の能力や才能を試すことなく、必死になることもなく進んだ大学に、自分は本当に納得しているのか、と。それでやめて、もう一度、受け直すことにしたんです。今度は必死に勉強して。それで早稲田に入ったのが21歳。でも、面白い大学でね。同じくらいの年齢の新入生がごろごろいるんです。面白いと思いました。同じような人間が集まるんじゃなくて、優秀な現役生から、私みたいなええ加減なモンまで幅広い。こういう社会は、活性化するんだと思いましたね。

 ただ、3年も遠回りして、親にはさんざん迷惑をかけてましたから、申し訳ないと思いまして。もしかしたら将来、家業にも役立てるかもしれない専攻をしとこうと化学を専攻したんです。もともと機械やデザインが好きなんですから、興味が出るはずもない。やっと入った大学でしたが、スキーと麻雀とバイトであっという間に3年たっていました(笑)。

 転機は4年になって、高分子の研究室に入れてもらったこと。ここで研究の面白さを知るんです。予想した結果が出てこない。世界の誰もやってないことをやれる可能性がある。なんだ、化学も捨てたもんじゃないな、と。それに4年で気づいた(笑)。そんな私に研究テーマを決める打ち合わせで、担当教授がひと言。「名前が城戸君なんだから、テーマは希土類にしたら」。本当です(笑)。でも、やっと入れてもらえた研究室。しゃあないな、と。でも、この思いもよらない専攻が、自分の運命を変えることになるんです。

■危機感がなければ、本当の力なんて出てこない
 とにかく勉強してなかったですから、基礎もない。それで、このまま卒業したらアカンと修士に進もうと思いました。ところが先生が、「お前みたいな勉強してないヤツは、アメリカに行ってゼロからやり直せ」と。優秀だからアメリカではなく、勉強してないからアメリカで再出発しろ、と。先生が知り合いを紹介してくださって。ここからの5年間は、それはもう壮絶でした。3年間のブランクを取り戻して、かつ最先端の研究をしながら修士と博士も取りました。

 アメリカでは、イオン交換樹脂を作る希土類イオンと高分子材料の基礎研究をしていた先生についていました。幸いにも、日本の研究室でも同じような物質を扱っていました。でも、幸いだったのはこれだけ。最初は半年もいれば、英語もペラペラだろうと思ったら、まったくそんなことはない。まず講義についていくのが難しい。しかも、修士に進むにはすべての単位で優か良しか許されない。さらに、博士候補生の試験は、学期の途中にあって、チャンスは2回しかない。まわりは、世界中から集まっている学生。中国からの留学生なんて、当時は1万人に一人といわれていました。そういう連中と戦わないといけない。まさにサバイバルです。