ソーラーカーでオーストラリア大陸横断した小原宏之
常識破りの発想をもった“クレイジーエンジニア”を紹介する第320回は、国内ソーラーカーレースで知らない人はまずいない玉川大学チームを率いる小原宏之氏だ。2003年には、独自開発のハイブリッド・ソーラーカーでオーストラリア大陸4000kmを走破。現在は、化石燃料を使わないバイオ水素開発にも挑んでいる。

■学生ともっと楽しいことをやらないといけない
 助教授だった40歳のとき、カナダのトロント大学のイメージングラボラトリーに1年間行きましてね。これが、私の大きな転機になりました。研究室で驚いたのは、教授が驚くほどエネルギッシュだったこと。勉強だけではなく、遊びにも、なんです。そして、若い人が好きで一緒にどんどん出掛けていく。カヌーで何日も旅行したり、湖沿いのコテージに学生を招待して過ごしたり。そして学生と仲良くなって、そのうえで研究も進める。これが成果を生むんです。

 実際にこのとき、非常に優秀な学生がいて、その学生のアイデアも重要なヒントになって後に教授は一躍有名になるんですね。そして、学生も研究者として後に大きな実績を上げていきました。若者の発想と教授の能力を照合させることで、大きな可能性が生まれるという事実を、まさに垣間見ることになったんです。

 そのためには、教授は面白いことをやらないといけない。その結果として優秀な学生が集まる。しかも、単にテーマが面白いだけではなく、教授の学生への理解があって初めて、面白いものになるんです。私はこのときに思ったんです。学生ともっと楽しいことをやらないといけないと。そんなとき、自動車関連の設計の仕事をしている弟から、ソーラーカーをつくっている大学があると聞いて、見学に行ってみることにしました。

 実は私はどうしても教員になりたくてなったわけではありませんでした。一度は就職も考えたことがあった。もちろん、やってみて教育の面白さには気づいていましたが、正直に申し上げれば、一生大学で教えようと腹を据えたのは、カナダに行ってからだったんです。それほどカナダでの体験は鮮烈でした。その後、大学の機関誌『全人』に、ソーラーカーの制作現場を訪ねたレポートとともに、カナダで感じたことを加え、玉川大学でもソーラーカーをつくってみたい、と提案してみたんです。

 ちょうど、時代の波は環境に向き始めていました。太陽エネルギーの有効活用技術を学び、開発する目的としていいのではないか、ということで、これが2年後に実現することになるんです。

■何より失敗したままで終わるのが嫌だった
 私は子供のころからモノづくりが大好きでした。だからソーラーカーを見たときも、つくれるか作れないかよりも、つくってみたいと思ったんですね。ですが実際には、それほど簡単なものではありませんでした。そもそも私の研究テーマは超音波でした。当初は工学部から20人の学生が集まり、電子工学科が電装、機械工学科がボディと足回り、情報通信・経営工学科がテレメントリーシステム、エネルギー管理を担当。ボディ製作はまったくノウハウがありませんでしたから、大学OBの会社の工房で型製作から仕上げ成型までの実習を受けて造りました。学生も各科の先生も総出の挑戦でした。

 試行錯誤の連続で何とか作り上げた。ところが、初めて出たレースで惨敗するんです。47位という結果でした。翌年は入賞させようといろんな失敗を乗り越えて再挑戦するんですが、今度は36位。2年間はまったくダメでした。こうなると、あきらめムードがまん延し始めます。私が何よりつらかったのは、誰かの責任にせざるを得ないような空気が広がることでした。しかも、ヘマをした担当に限って人のせいにしたがる、という人間の習性を見ることにもなった。そうなると、最後は学生が悪い、なんて結論にもなりかねなかったんですね。教育者として、それはあってはならない結論です。