■一貫している浦和のサッカー
 ゲルト・エンゲルス監督が標榜するのは「コンパクトでパスを繋ぐ攻撃的なスタイル」なのだという。しかしそれを見事に具現していたのは、先日高円宮杯全日本ユース選手権を制した浦和レッズのユースチームだった。
 
 結果的に浦和レッズでは、トップチームとユースチームが対照的なサッカーをしている。これはもともとクラブに、こういうサッカーをしたいというビジョンがないのか、あってもどちらかがうまくいっていなかったということになる。そして基本的に大方のファンなら、4−3−3で高い位置からのプレッシングを仕掛け、流麗にボールが動くユースのサッカーを好むだろう。
 
 一方で浦和のトップチームのサッカーは一貫している。優勝したブッフバルト時代から、オジェック、さらにはエンゲルスと監督が代わっても、基本的に3−4−1−2のフォーメーションに変化はなく、概ね個の能力に依存したところも変わりがない。
 ただしブッフバルト時代は、Jリーグでも同じスタイルが一般的だったから個の能力で上回る分勝てたが、やがて他のクラブが戦術を変え、浦和の弱点を突くようになり苦戦を強いられることになった。
 今年初めにオジェックが解任され、エンゲルスに指揮権が移行したことで暫く好転したかに見えたのも、個の配置換えによりチームに刺激が加わり、相手が戸惑ったのが原因で、決して大筋での改善と呼べるものではなかった。
 
■消極的で、後手を踏んでいるフロント
 浦和レッズは圧倒的な人気チームで、戦績でも観客動員でも結果が出ていた。だから変化する必要がないというのが、フロントの判断だったのだと思う。しかし日々変化しているサッカーの世界で黄金時代というのは、いわば下降線の始まりである。ところが日本では、過去の功労に対するノスタルジーが非常に強いから、なかなか決断のタイミングが遅れがちだ。以前の東京Vや現在の磐田が典型例だろう。
 
 逆にスペインのようにファンの嗜好がはっきりしている国だと、場合によっては結果以上にスタイルが重視される。レアル・マドリーを立て直し、優勝を飾ったファビオ・カペッロが解任されたのは周知の通りだが、ファンもそれを支持したということは強化の責任者がプロらしい仕事をしたという証明になる。
 おそらく浦和レッズもエンゲルスと同じように「パスを繋ぐ攻撃的なスタイル」を目指しているのだろう。だが結局最近の浦和がそれを実現できていないということは、強化責任者が自らのビジョンをイメージできていないか、それが可能な監督を探せていないということになる。
 
 前任者のオジェックは、内容を吟味すれば既に昨年の段階で更迭という判断ができたはずだが、今年のシーズンが始まり「連敗」という結果が出てくるまで引きずり後手を踏んだ。
 また後任のエンゲルスにしても、ブッフバルト時代からヘッドコーチとしてサポートしてきた指導者である。監督に昇格させても大きな変化をもたらさないことは容易に推測できたはずで、むしろオジェックを解任するなら同じように責任を追求されるべき立場にあった。
 つまりもし浦和がユースのように文字通りアグレッシブで攻撃的なスタイルを望むなら、方向性を大きく変える舵取りが必要だったわけだ。
 
 新聞等では永井の「(監督を)今代えないで、いつ代える」というコメントが報道されたが、
 ACLを逃しても後任不在で続投という消極的な決断は、確かにあまりにもプロの判断からはかけ離れたものだった。(了)