11月16日に大阪のなんばグランド花月で催される、落語家・笑福亭松之助の芸能生活60周年記念イベント「よしもとの天然記念物保護の会」に、弟子の明石家さんまがお祝いに駆けつけるという。『さんまのまんま』などテレビでの師弟共演経験はあるが、舞台での師弟共演はかなりレアで、10月4日の前売り開始前から早くも一部で話題である。
 松之助もさんま同様、かつては舞台・テレビの超売れっ子。しかし現在は後進に道を譲り、あまりその才能が語られることは無い。そこで、御年83歳の超ベテラン・松之助の60年にわたる芸人人生をざっと紹介しておきたい。

 さんまが時々入門エピソードのひとつとして語る松之助のネタに、『仮面ライダー』がある。正義のヒーローであるライダーを「あんな砂糖ツボみたいなもん被って…」などと称したり、アニメやCMのアラ探しを連発する、ツッコミギャグの集大成的漫談。『テレビ・アラ・カルト』の別題もある。
 今でこそこの手の“あるあるネタ”は普遍的なギャグの一ジャンルだが、1970年代前半に大阪の落語界でやる人はおらず、先鋭的な笑いだった。のちに漫画家のみうらじゅん氏が「このオッサンはスゴイぞ!と思わせるアナーキーさ」と評した部分である(ぴあ『よしもと天国』掲載記事より抜粋)。
 そして、若き日のさんまも、入門志願する際に松之助を「あんたにはセンスがある!」とこともあろうに“上から目線”で大絶賛したのであった。それを「ありがとう」と受け容れ、入門を許した松之助の度量の広さもすごい。

 『仮面ライダー』以外にも、60〜70年代の松之助は多くの新作漫談や古典落語の改作を手掛け、高座やテレビで口演を重ねた。がまの油売りの口上をミュージカル仕立てにしたり、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を落語化してみたり・・・・・・とりわけ、自ら“ニュースタイル落語”と名付けて演じた『笑えばテープ』というネタは実験的で、タキシードに半ズボンにサンダル姿で登場して、『ガリバー旅行記』などから引用した小ばなしをしゃべる。話のオチのあと、あらかじめ用意してあった笑い声のテープを流す。これを劇場で演じると、観客は最初のうちはキョトンとしているものの、徐々にじわじわウケていったのだ、という(少年社『現代上方落語便利事典』相羽秋夫著より抜粋)。
 つまり、演者であることと平行して、作家としての才能にもたけていたわけだ。『笑えばテープ』は間違いなく家庭用テープが出回っていないオープンリール時代の話で、新しい物を取り入れる試みにも貪欲だったことがうかがえる。例えるなら「40年前の世界のナベアツ」といったところだろうか。

 落語家として五代目笑福亭松鶴に入門したのは1948年。その直後に師匠を亡くし、しばらく宝塚新芸座、吉本新喜劇、松竹新喜劇など喜劇役者として活動の場を転々としたあと、1967年吉本興業に復帰。前述のアイディア溢れる創作活動はここから始まった。ちなみにさんまは1974年入門である。
 近年は各落語会に出演する一方、その押し出しの効いた存在感でドラマや映画に個性派俳優として出演する機会が多い。1996年には『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の週イチコメンテーター役としても出演したが、秒単位の時間に縛られるニュースショーは気性に向かなかったようで、こちらはあまり目立った活躍が無かったのが今思っても残念。いっそスタジオ生出演ではなく録画で喋りたいだけ喋り、それをスタッフが編集する形式ならば、松之助の面白味は発揮できたはず。きっと「砂糖ツボ」クラスの名言も出ていただろうに。

 2006年からはブログ「楽悟家 松ちゃん『年令(とし)なし記』」を開設。さらに2007年には「YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜」で映画『夢だけが人生やない』で監督デビュー。連日水泳で1000m泳ぎ続ける驚異のオーバー80・笑福亭松之助はまさに、吉本だけにとどまらず東西芸界を通じての“天然記念物”的存在かもしれない。

(編集部:尾張家はじめ)
 
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