ベンチ外から戦況を見つめる稲本潤一<br>【photo by Kiminori SAWADA】

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 非情な采配と言えば、最近ともするとポジティブな言葉に聞こえる。

「非情」を辞書で引けば、人間らしい感情を持たないことと書かれてある。決して良い意味には聞こえないが、それに「采配」という言葉が一緒になると、響きの悪さはずいぶん和らぐ。むしろ、監督のカリスマ性を唱うセールスポイントにさえ聞こえる。

 昨年の日本シリーズで、それまで完全試合の快投を演じていた山井を降ろし、岩瀬を投入した落合監督の采配を、ふと思い出す。非情だとする声が、多く囁かれたことも確かだったが、一方で勝利のためには致し方ないとする声も多く聞かれた。賛否両論渦巻いたわけだ。言い換えれば、その非情は、常識の範疇に収まっていた。非常識采配ではなかった。

 非情と非常識は似て非なるもの。先のバーレーン戦で、岡田サンが振るった采配を見ていると、両者の間には決定的な差があることを痛感する。フランクフルトに所属する稲本を招集しながら、ベンチにも入れずスタンドで観戦させたことは、非情ではなくて非常識。常軌を逸した采配だと言わざるを得ない。

 今春、重慶で行われた東アジア選手権で見せた采配も、非情というより非常識なものだった。右のサイドバックで、長年にわたり活躍してきた加地を、左のサイドバックで起用したことだ。加地に左サイドバックとしての適正がないことは、衆目の一致するところだったが、岡田サンはあえて加地をそこで起用した。

 右サイドバックのポジションには、その時、売り出し中の内田もいれば、駒野もいた。一方、左は安田ひとり。右は左に比べると手薄な状態だったが、だからといっていきなり加地を左で起用する手はないだろう。案の定、ものの5分もしないうちに、加地の不適正は明らかになった。予想されたことが予想通り起きただけの話だが、岡田サンは懲りずに第3戦でも加地を左で使った。そしてこの大会を最後に、加地は岡田ジャパンのメンバーから外れ、代表チームからの引退を表明した。長年、代表チームに貢献してきた選手を、苦手なポジションでさらし者にするように使い、そしてクビを切った。非情な采配と言う より、非常識な采配と言うべきである。

 思えば岡田サンは、10年前のフランスW杯の時も、周囲をビックリさせる非情な采配を行っている。カズを現地まで連れて行きながら、最終メンバーから外したことだ。日本サッカー界の功労者に対する仕打ちとしてはあまりにも失礼な、非常識采配を振るった過去を想起せずにはいられない。

 バーレーン戦のピッチにも、おかしな采配が見て取れた。田中達をワントップに起用したことと、阿部を左サイドバックに起用した2点である。

 4-2-3-1の1に求められる適正と、田中達のプレイスタイルとの間には、著しい開きがある。彼は1トップの選手ではない。阿部の場合はもっと酷い。左のサイドバックっぽい雰囲気が、彼には微塵もない。メンバーチェンジに伴い、後半35分からそこに就いたのなら分かる。他でも見かけそうな話だが、試合の頭からは別。岡田サンの目を疑いたくなる。

 常識にとらわれすぎるのも良くないが、非常識はもっと悪い。ある監督経験者はこういう。「自軍の選手から『ウチの監督おかしいんじゃないか』と囁かれる方が、メディアから叩かれることよりずっと怖い」と。いったい岡田ジャパンの選手たちは、決して常識的とは言えない岡田サンをどう見ているのだろうか。稲本や加地に対する仕打ちを良しとしているとは思えない。 

 その非常識は、何についてもあてはまると考えるのが自然だ。一見、常識人のようにみえる岡田サンだが、実はかなり非常識。世界のスタンダードから外れている。稲本を欧州からわざわざ呼んでおきながら、スタンド観戦させてしまうような監督に、名監督はいない。少なくとも僕はそう思う。